2012/07/17

小沢一郎の最期

過去20年超、日本の政治(あるいは政局)の中心に在り続けた小沢氏が、その政治生命を終えようとしている。
「新党『国民の生活が第一』には8割が期待しない」との世論調査結果が発表されているが、そのような調査を待つまでもなく、支持基盤の無い若手議員を寄せ集め、橋下氏からも石原氏からも相手にされないこの政治勢力に未来があるとは思えない。国民のほとんどはもう何とも思っていないだろうし、メディアからもやがて忘れられていくだろう。

彼が20年前に著した『日本改造計画』は、明確なビジョンとリーダーシップ、それを実現する具体的な方策が簡潔にまとめられた本格的政治論として鮮烈な衝撃を与えた。同書を読めば、その後の日本が、規制緩和・自由主義や小選挙区制・マニフェスト選挙の導入を含むイギリス型政治システムの模索から、自己責任という観念の波及に至るまで、紆余曲折を経ながらも、相当程度本書の提言・予言通りの道を歩んできたことがわかる。



本書は当時新進気鋭の官僚や学者等で構成されるゴーストライターが書いたとされ、そのことをもって批判する向きもあるが、それだけの識者・論客を惹きつけ、選別し、一貫した論旨にまとめあげ、自らの名前で出版できたことこそが、彼が動員力と先見性、決断力を兼ね備えた優れたリーダーであった証左である。

だから私も、3年前の政権交代時、日本の統治構造が変わることに多少とも期待した(今読み返すと面映ゆいが)。
しかし結局、統治構造は何も変わらなかった。部会の廃止は撤回され、与党・政府の二元体制は維持された。百人超の与党議員が政府入りすることも、国家戦略局が指導力を発揮することも無かった。そしてその二元体制を維持した張本人は、自分しか見えない夢想家・鳩山由紀夫氏を操り、ガソリン暫定税率の廃止撤回に代表される政権介入を行った小沢氏自身だった。

今回結成された新党「国民の生活が第一」は、あろうことか党議拘束を設けないという。党議拘束・多数決によって「決める政治」は、彼が目指した英国型モデルの要諦である。それを真っ向から否定し、小沢氏の目指す政治システムは一体どこに行くのだろうか。代案の無い脱原発・反消費増税を含め、「何でも反対」党内野党に成り下がっていたことを考えれば、驚くには値しないのかもしれないが。

数年前、小沢氏と1対1で話したことがある。メディアを通じて受ける強面な印象とは裏腹に、柔和で親しみやすい方だった。これが「人たらし」と言われる所以か、と思ったものである。

結局小沢一郎氏は理念ある政治家だったのか、単なる田舎の旧い政治屋だったのか。最近のメディアを通じて得られる小沢像しか知らない人には後者にしか見えないのだろうが、彼の政治行動をつぶさに見た人や『日本改造計画』のインパクトを知る人にとっては、「日本を変えてくれるのではないか」という期待感を抱かせる存在だった。だからこそ彼は、これほどの長きに渡って政治の中心に居続けられたのだ。
先の問いは、おそらく彼に近しい支援者にとっても、永遠の謎だったのだろう。その謎に答えを出さないまま、小沢氏は政治の表舞台から完全に消え去ろうとしている。一度首相になって答えを出してほしいと思っていたが、その機会はもう永遠に巡ってこないだろう。


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2011/10/23

小泉氏は自民党の衰退をもたらしたか- 『世論の曲解-なぜ自民党は大敗したのか』

菅原琢氏著の『世論の曲解』を読んでの考察である。非常に面白い本だったので内容は前回紹介したが、一つ重要な点として「農村での自民党離れに小泉は関係ない」とする著者の解釈には、全面的には同意し兼ねる。

著者が上記のように結論付ける論理は下記のようなものだろう。
・農村部の自民党支持基盤の弱体化という底流は、政治制度改革(中選挙区制度の廃止、利便性の向上による都市部の投票率の向上)や第一次産業/土木・建設業等の衰退により、90年代から生まれていた
・それに対して小泉は「都市部寄り、若年・中年層向けに政策路線をシフトするという的確な対処法」により、「農村の支持基盤を維持したまま、都市部での支持を厚くすることに成功した」。小泉は自民党にとっての救世主である
・その後の自民党は「都市部の支持獲得という的確な処方箋を捨て」旧い自民党に回帰することで支持を失った

しかしこの議論は、小泉改革が農村部の集票組織を破壊したことを過小評価していないだろうか。
著者は、選挙結果を見て「もし小泉が悪いなら、03年くらいからもっと農村の自民党支持率が悪化してもよかっただろうが、少なくとも小泉時代の自民党は、農村で一定の得票率を維持していた」として小泉原因説をあっさり否定する。しかし集票組織が小泉政権下の自民党を離反できなかったのは、小泉が強大な権力を集中させて有形無形の圧力を強める一方で、民主党は現実的な対抗勢力と見做されていなかったからである。匿名の投票者と異なり、顔が見える集票組織は、たとえ不満があっても簡単に政権を裏切るわけにはいかない。鬱積した不満が爆発するためには、小泉が居なくなり、民主党が党勢を回復するための時間が必要だったのだ。

政権交代をもたらした2009年の衆院選では、多くの集票組織が民主党に流れた。最後に雪崩を打つように発生した駆け込みは、単に勝ち馬に乗っただけで小泉改革の遺産とは言い難いかもしれないが、少なくともそうした流れの先鞭をつけた特定郵便局長会と日本医師会の離反が、小泉政権下での冷遇を直接の原因としていたことは明白である。選挙において一般世論が重要であることは論を待たないが、利益集団や集票組織の動向に全く触れずに選挙の力学を論じ切ることにも、やや無理があるのではないだろうか。

もちろん、自民党の支持基盤が長期的に衰退する宿命にあり、変化を必要としていたこと、それに対して小泉氏が的確な処方箋を提供して自民党を救ったことは否定しない。しかし都市部の新しい有権者の支持を取り込むために、小泉氏はやはり地方の集票組織を切ったのであり、その手法は自民党にとっては諸刃の剣だったのだ。小泉氏が国政選挙のゲームのルールを組織票固めから無党派層の風集めに変えたことは民主党躍進の遠因となったのであり、自民党の衰退に止めを刺したのはやはり小泉氏だったのだと、私は思う。

小泉首相が誕生しなければ自民党はもっと早く政権を失っていた可能性はあるが、その場合の衰退はもっと別の形で現れただろう。


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2010/07/12

参議院の存在意義 - 多すぎる選挙とねじれの弊害

参議院選挙で与党が過半数割れとなり、国会は「ねじれ」を抱えることが決定的となった。

日本国憲法が抱える最大の致命的欠陥が、顕在化しつつある。欠陥とは、強すぎる参議院・多すぎる選挙である。

これに関しては、去年の衆院選後にも書いたので、抜粋しておこう。

数年以内に参議院改革論議が本格化する

・・・
来年の参院選後、・・・参議院の抜本改革が政治改革の最重要課題の一つとして浮上してくるだろうと予想できる。今の参議院は、二大政党制のもとでは「ねじれ」を日常化させるからである。

・・・来年の参院選でもしも自公が勝てば、国会は「ねじれ」になる。しかも衆議院での議席は、・・・再議決に必要な3分の2に達しない。3分の2を握っていた自公政権でさえ、「ねじれ」の下での国会運営は至難だったことは、福田・麻生両政権の経験が教えてくれている。民主党政権の改革モメンタムは急速に衰えるだろう。

・・・民主党が勝てば、・・・政権は安定する。しかしその後はどうか。更にその先はどうか。「ねじれ」の懸念は永遠になくならない。衆院と参院の任期は、ずれており、双方の選挙の間に移り気な有権者の支持が動くことは、いつでも起こりえるからだ。

そうなると、そもそもこの「ねじれ」というものを引き起こす二院制とは何なのか、という議論が必ず起こる。そして、第二院である参議院の存在意義がチャレンジされることになる。

実は日本の参議院は、諸外国と比較しても権限が強い。同じ議院内閣制でも、イギリスの上院は反対しても審議を多少引き延ばすだけで結局下院の議決が通るし、ドイツでは連邦議院の賛同が必要とされる法律は限定されている。全ての法律に参議院の議決(又は衆院での3分の2の再議決)を必要とする日本の二院制は、実は例外的なのである。ちなみにアメリカも上下両院の議決が必要だが、アメリカは党議拘束が無く、法案ごとに賛否が変わるので、与野党に分かれてスタック、という事態は起こらない。
・・・
(後略)

(2009年9月2日)



それだけの重要性を持つ参議院選挙が、3年に1回ある。衆議院選挙は少なくとも4年に1回ある。ということは政権の枠組みを根本的に左右しかねない国政選挙が、12年に少なくとも7回ある計算になる。政治家は選挙の半年~1年前は、選挙のことしか考えなくなる。それはある程度仕方のないことである。2年弱に1回選挙があるということは、政治家はだいたい半分くらいの期間は選挙のことばかり考えているということだ。これでは、長期的な視点に立った政策など、作れるはずがない。

参議院は、廃止するか権限を大幅に弱めるなどの根本的な改革を必要としている。
これには憲法改正が必要で、衆議院の3分の2と参議院自体の同意が必要なので、とんでもなく難しい。それでも参議院の意義を、真剣に問い直すべきだ。でないと日本の政治は選挙に振り回され続け、永遠に迷走を続けるような気がしてならない。

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2009/10/04

構想日本の事業仕分け

構想日本」とは、行政刷新会議の事務局長に就任する旧大蔵省出身の加藤秀樹氏が立ち上げたシンクタンクであり、その看板事業の一つが「事業仕分け」である。

加藤氏の起用に関する新聞辞令が出て以来、構想日本には問い合わせが絶えなかったそうで、先週の金曜日に事業仕分けに関する説明があったので、それに参加してみた。

事業仕分けとは、様々な公的事業を必要なものと不必要なものに分け、必要なものはどこがやるべきか(国か地方か民間か、といった具合に)分けるプロセスである。行政のムダを省いて予算を捻出すると約束している民主党にとっては心強い切り札のような存在だ。と言ってもこの事業仕分け、複雑な理論や特別な秘訣があるわけではなく、事業の要否を判断する基準・ガイドラインようなものも作っていない。一つ一つの事業を丹念に見て、常識に照らして判断していくという、地道な作業であり、それを公開の場で行うというところがミソだそうだ。

加藤氏の講演は、ちょうど10年前に一度聞いたことがある。大学生の頃に参加した政策イベントに、構想日本を立ち上げて間もない加藤氏が講師として招かれたのである。講演の内容はほとんど忘れてしまったが、一つ、印象に残ったことがある。


当時から私は「霞ヶ関に対抗できる民間シンクタンクは可能か」という点に強い関心を持っていた。たった一人で大蔵省を飛び出してシンクタンクを作った彼が、圧倒的なリソースを持つ霞ヶ関には出せないバリューをどうやって出していくつもりなのだろうか。彼はまさにこの私の疑問、そしておそらくそれまでにも様々な人から何度も向けられたであろう疑問に、講演の終盤で触れたのである。


何かすごい秘策があるに違いない!それが今から開陳されるぞ!

私が期待に胸を膨らませて固唾を呑んだ瞬間に、彼が口にした言葉は、

「それは思いを強く持つことです」

だった。


「せ、精神論ですか・・・・。」


政策や改革とは、何かとても知的な作業であると思い込んでいた青い私は、その答えにずいぶんと落胆したものである。当時の私には、加藤氏は竹槍で戦闘機に突っ込むドン・キホーテのように映った。

しかし今になって思う。やはり大事なのは、ハートであり、志であり、覚悟だったのだ。

事業仕分けは、30-40人の「仕分け人」と呼ばれる人々(多くは自治体職員)が手弁当で集まって、自治体の予算を一つ一つ見ていく作業である。金はかかっていないし、特別なスキルも必要ない。しかし実にうまく設計されており、積み重ねていく中で、ノウハウが蓄積され、大きな効果が出せる仕組みになっている。

言うは易く、行うは難し。それをここまでやりぬき、実績を積み重ねることができたのは、着想や戦略の正しさもさることながら、やはり志があったからだろう。加藤さんは説明会の中で、ウサギとカメの寓話に触れた。大切なのは、地道な積み重ねと継続。
加藤さんと構想日本の方々には、是非とも、がんばっていただきたい。


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2009/09/09

閣内と閣外では大違い

党首級協議を閣内で、民主が枠組み 福島・亀井氏入閣の方向 
NIKKEI NET

 民主党は7日、鳩山由紀夫代表、小沢一郎代表代行らによる幹部協議で、社民、国民新両党との連立協議の焦点の与党間の政策協議に関し、両党の党首級の入閣を求めたうえで、必要に応じて閣内で協議する枠組みを設ける方針を決めた。8日に再開する連立協議で両党に正式に提案する。民主党の人事では小沢氏の幹事長への起用と輿石東参院議員会長の続投を了承した。
 社民、国民新両党は民主党の要請を最終的には受け入れ、福島瑞穂党首、亀井静香代表がそれぞれ入閣する方向だ。(07:02)



連立協議の場を閣内に設けるか閣外に設けるかで、協議が続いているが、どうやら閣内で落ち着きそうだ。与党・内閣一元化の重要性については再三書いたが、ここで改めて連立協議の場ということを考えてみたい。

自公連立政権では、与野党の政策協議は内閣に入っていない幹事長同士で行われていた。そこに政策調整の実権があると、首相や内閣の打ち出した方針に対して、「党は聞いてない」とか「了承できない」といった反発が起こりやすい。彼らは別に内閣の人間ではないので、首相に従わなければならない必然性は無いからだ。麻生内閣では、首相の提案に対して、自民党や公明党の幹事長が平然と反対意見を述べて、いとも簡単に方針が覆されることが多々あった。

ところが政策協議の実権が閣僚同士の協議の場になると、こうは行かない。閣僚は内閣の一員であり、首相に指名されて首相を支えるべき立場である。閣外の幹事長というのは、「たまたま今協力関係を結んでいる別の政党の人」だが、閣僚は「首相の部下」である。これはぜんぜん違う。閣僚は首相の指示に従うか、それができなければ辞任すべき立場であり、首相が閣僚を罷免することもできる。別の党であっても、好き勝手に首相や内閣の方針を批判することはできない。

亀井氏は当初入閣せずに閣外で発言権を持つ腹づもりだったようである。いかにも自民党古参議員らしい発想であり、また彼らの勢力拡大のためには正しい戦略だが、それを許さなかったところに民主党の本気度が伺える。民主党が改革に本気で取り組むためには、社民・国民新の両党が閣外から政府を批判して足をひっぱることを絶対に許してはならない。

社民党と国民新党には、民主党の足を引っ張る強力な動機がある。
今回民主党が彼らと連立を組むほとんど唯一の理由は、参議院で過半数を取れていないことである。自公も民主も過半数を取っていない今の参院は、社民・国民新党にとって最高の状態である。しかし来夏の参院選で民主党が勝って過半数を取れば、社民・国民新の交渉力はゼロに等しくなる。仮に両党が議席を伸ばしても、である。民主党が過半数を取ってしまえば、社民党の議席数が5だろうと6だろうと、関係ない。
両党は、民主党に参院選であまり大勝してもらっては困るのだ。だから福島党首は、今回の衆院選でも「民主党一人勝ちは危険」と牽制していた。したがって両党は、民主党の勝ちが見えてきたら、政権を支えて埋没するよりは、適度に民主党を批判して独自色を出そうとするだろう。それにメディアが喜んで飛びつく。「同床異夢の連立内閣、早くも不協和音」といった見出しが目に浮かぶではないか。
民主党はそれが分かっているので、なるべく内閣に取り込んで押さえつけようとしている。おそらく、副大臣や政務官のポストもいくつか両党に提供するのではないだろうか。そうやって中に取り込んだほうが、押さえが利く。

社民党・国民新党としては、来年の参院選をにらんで、交渉ポジションが強い今のうちにどんな交渉をしておくのがベストな戦略なのか、なかなか面白いところである。純粋に党勢拡大だけを目的として考えるならば、目立つ主要閣僚ポストはほしいだろうが、目立たない副大臣などで送り込むよりは、閣外でフリーハンドを得て内閣と距離を取った方がよいかもしれない。

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