2015/07/08

【読書】 「ドイツ帝国」が世界を破滅させる エマニュエル・トッド



 最近のギリシャの債務問題を巡っては、EU・ユーロ圏内でのドイツの発言力の強さが際立っている。と言っても、日本から見えるドイツは、言語も文化も多様な独立主権国家が集まったEUの中の「同輩中の首席」に過ぎない。しかし著者が見据える欧州はドイツ一国によって完全に支配された、米国をも凌駕する規模の覇権国である。

 曰く、ドイツ経済は欧州で一人勝ちし、ロシアからのガスパイプラインも押さえてロシアとの交渉でも主導権を握る。(日本と同様の)高齢化する成熟市場というイメージと裏腹に、欧州は域内に多くの新興国を抱え、これらが安い労働力と豊富な成長機会を提供する。文化・政治的にも、オーストリアやベネルクス、ハンガリーなどは元々ドイツの一部のようなものだし、借金まみれの南欧はドイツに頭が上がらず、フランスは自主的にドイツに隷属した。アメリカはもはや欧州大陸内での当事者能力を失いつつあり、ドイツの対ロ政策に追随することでその弱さを隠している。

 著者はまた、イギリスのEUからの離脱は必然だと予言する。数年前から度々話題に出てくる話だが、これを「独・仏・英を筆頭に多数の国がバランスを保つ多極的な欧州」という枠組みを前提に、「南欧に手を焼くドイツを尻目に、EUから距離を取る」という風にとらえる、いまいちピンと来ない。しかし「南欧が弱いから」ではなく「ドイツが強過ぎるから」という視点で見ると、違うストーリーが見えてくる。
 ドイツが完全に支配するEUという枠組みの中で、イギリスは辺境の島国でしかない。その中でイギリスが強力な発言権を確保することは、これまでもこれからも、あり得ない。それは、ユーロに参加せず大陸から距離を置くというイギリス自身の選択の結果ではない。イギリスはどう足掻いたとしても、経済力・生産力と地理的・文化的近さの両面において他の欧州大陸諸国を手なずける上で圧倒的に優位な地位にあるドイツの発言力に、遠く及ばないのだ。EUの中でのイギリスは、リーダーの一角などではなく、単なるマイノリティでしかない。
 だとするとイギリスの取るべき道は、欧州の中でドイツの属国に成り下がることではなく、アメリカとの特別な関係や、カナダやオーストラリア、アフリカ諸国も含めた英連邦の遺産を活用して独自性を発揮する方向である。

 前半で語られるドイツ論は、(その当否を誰にも評価しきれないところもあって)一つの見方としてなかなか刺激的なのだが、後半は、「富裕層と金融資本が政治を牛耳って可哀そうなギリシャ人に無理やり借金をさせた」というような、根拠のない陳腐な妄想的陰謀論と、サルコジ前大統領への感情的な罵倒が延々と続き、読むに堪えない。

 ケインズ政策を論じた下記の記述に至っては、噴飯ものである。

ケインズの勝利と国家のカムバックが歓迎されました。
…ところが問題がありました。金持ちたちのケインズ主義だったのです。
 景気刺激の財源を貨幣創出―「輪転機を回す」というやつです―で賄えば国家に負担無く済むのにそうはせず、借入で調達したのです。
 これでは、金持ちのお金の安全を確保するばかりで、需要不足にはいささかも根本的な答えとなりません。この贋ケインズ主義は…(後略)



 輪転機を回して財政支出を拡大する(そんなことをすれば当然、通貨の信用は地に堕ちる)のが真正のケインズ主義だなどという珍説は、初めて見た。

 外交力学を論ずる彼の視点は鋭いが、経済を論評すると基礎的な理解を欠いていることを露呈し、その言説の全てが胡散臭く聞こえてくるので、やめた方がいい。

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2015/07/04

【読書】 憲法で読むアメリカ史(全) 阿川尚之




分かったようでよく分からないアメリカという連邦国家は、その成り立ちからして日本と全然違うが、そこに端を発して法や国家というものに対する意識がずいぶんと違う。

239年前の今日、1776年7月4日に発せられた独立宣言は、13のstateの共同声明(The unanimous Declaration of the thirteen united States of America)であって、この時アメリカは13州のゆるい連合体でしかなかった。その後1983年のパリ条約でようやくイギリスは独立を追認したが、その第一条でイギリスが承認したのも、下記の通り、それぞれが自由で独立した主権を持つstateの集合体である。

The Definitive Treaty of Peace 1783
Article 1:
His Brittanic Majesty acknowledges the said United States, viz., New Hampshire, Massachusetts Bay, Rhode Island and Providence Plantations, Connecticut, New York, New Jersey, Pennsylvania, Maryland, Virginia, North Carolina, South Carolina and Georgia, to be free sovereign and independent states, that he treats with them as such, and for himself, his heirs, and successors, relinquishes all claims to the government, propriety, and territorial rights of the same and every part thereof.
http://avalon.law.yale.edu/18th_century/paris.asp



一応1781年に、13州の足並みを揃えるために連合規約が制定されて連合議会が発足していたが、その権限は弱かった。そこで1787年にようやく合衆国憲法が起草されたが、それを各州が批准すべきかをめぐって大論争が巻き起こった。 

もっとも根本的な反対理由は、独立革命によって各植民地の人々がようやく獲得した民主的な共和政体が、連邦政府の樹立によって失われるのではないかという恐れである。イギリスとの独立戦争を勝ち抜いて、国王や貴族の圧制から自由になった。その結果、自分たちで政治を行い、自らの運命を決定できるようになった。(中略)それなのになぜ再び連邦政府を創設して、遠くにいる顔も知らない少数の人々に自分たちの運命をゆだねるのか。連邦政府ややがて肥大し、人々の自由を圧迫するであろう。各州の独立は失われるであろう。そのような危険を冒してまで、どうして中央政府を樹立せねばならないのか。(p36)



こうした反対意見に対して憲法を擁護した反論が、歴史に名高い名著『フェデラリスト』である。

その後、南北戦争、大恐慌から第二次大戦という二つの危機を契機として、それぞれリンカーン、ローズヴェルトという強いリーダーシップを発揮した大統領の下で、連邦政府の権限は大幅に拡大した。しかしその過程では、たとえば「奴隷に自由を与える連邦法は、憲法で保障され、州法で認められた財産権(奴隷に対する所有権)を侵害して違憲ではないか」、「大恐慌下で制定された、競争制限的な連邦規約は、憲法で定められた連邦政府の権限を超えているのではないか」といった争点をめぐって、州と連邦の権限に関する激しい思想的な対立が起こった。
時に連邦裁判所の判決は政府によって公然と無視され、裁判所の権威は大いに傷つけられたが、その中で妥当な落とし所を常に模索し、発展してきたのが、アメリカの司法なのである。


より上位・より広範囲の権威にみんなが従うことで全体の秩序を保つことを当然のように重視する傾向が強い日本人の感覚からすると、アメリカが時々のぞかせる国連軽視・自国優先の態度はとんでもなく傍若無人なように感じられるが、州と連邦との関係が常に相対的で時に緊張を孕むものだったこの国の歴史と伝統に照らせば、国連やICJ(国際司法裁判所)の方針に自国の利害を優先することは、主権国家が状況次第では当然選び得る手段として、何ら違和感を持たないところなのかもしれない。

日本人は、一方では制文法を絶対的なものとして非常に重視し、他方で誰も守らずに違反が横行している法(スピード違反や個人情報保護法など)をたくさん作るという、考えてみれば不思議な人々である。この二つは一見矛盾するようだが、誰も守れない法律を作って役人の裁量で処罰するという裁量行政が広く受け入れられて機能するのは、法律の文言を絶対視する根底意識があるからなのだろう。


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2015/04/23

【読書】 21世紀の資本 トマ・ピケティ (続き)



ピケティの議論の検証の続きである。


仮定3:資本が偏在し、かつそれが固定化する

まず「資本の偏在」に関してである。
私が思うピケティの議論の最大の欠陥は、前回も少し触れたがライフサイクルという視点をほとんど無視していることである。

ピケティは第7章で労働と資本との集中度を単純に比較する議論を延々と展開しているが、多くの人は、ゼロに近い資産からキャリアをスタートし、若い頃はなかなか貯蓄もできず、中年以降に一気に資産を増やして引退生活に入る。これは終身雇用と年功賃金が残った日本に限った話ではなく、アメリカでも、65歳以上の人の資産の中央値(171,135ドル)は、35歳以下のグループの資産の中央値(6,682ドル)の25倍に達する

net worth by age


一方、年齢グループ別の所得の格差は、せいぜい2倍程度である(2013年では、7万ドル弱 vs 約3.5万ドル。こちらは中央値ではなく平均値だが)。

household-income-by-age-bracket-median-real (1)

ここでは25倍の資産格差が妥当な水準なのかそれとも世代間の過度な格差なのか、といった問題には立ち入らないが、いずれにしても、様々なライフステージの人々が同時に生きている社会全体を見たときに、所得よりも資産の方により大きな格差が観察されるのはごく自然なことである。

ピケティはこの点にも一応論及はしているが、「実際は、富の集中は年齢層ごとに見ても、人口全体とほぼ同じくらい大きい」(p256)とさらっと述べるだけで、裏づけとなるデータも何ら示していない。もちろん資産が大きく偏在しており、かつその度合いが所得よりも大きいということは直観にも合致はするし、多分正しいのだが、この大著で示されるデータはそれを論証する上では片手落ちと言わざるを得ない。

(続くかも)
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2015/03/14

【読書】 通貨燃ゆ 谷口智彦



通貨をめぐる政治を独自の切り口でまとめ上げた本書が書かれたのは約10年前だが、10年振りに読んでもやはり刺激的に満ちている。

本書のハイライトは、ドルがポンドから基軸通貨としての地位を奪った経緯(特にブレトンウッズでのケインズvsホワイトの交渉)や金ドル兌換停止というニクソンショックだが、ここでは日本が当事者となった通貨戦争を備忘のために記しておく。

ケインズが言うように、「既成の社会基盤を覆すのに、通貨価値を下落させることほど巧妙で確実な方法はない」。

日中戦争当時、蒋介石政権の転覆を図るために偽札作りを計画し、実行した旧日本陸軍の秘密作戦が存在した。阪田誠盛率いる、通称「阪田機関」なる特殊工作班が立案し、内閣印刷局、凸版印刷や巴川製紙所が参画したという。その作戦は、中国の偽札で軍事物資を調達することで、タダで戦争をしつつ、敵の通貨価値を下落させて購買力を削ぎ、社会を混乱させるという一石二鳥を狙うものだった。1940年前後のことだった。

それに先立つ1930年代半ばには、日本は、当時銀本位制をとっていた中国の通貨信用力を低下させるため、中国が保有する銀の密輸出を促す工作も行った。
これに対して英国政府は、フレデリック・リース・ロスを中国の財政顧問として派遣し、中国通貨の銀との交換を停止して、ドルとポンドを参照する管理フロート制に移行する幣制改革を行った。更に日本が横浜正金銀行を通じた中国通貨の売り浴びせに動くと、米国も銀と引き換えに中国にドルを供給し、中国支援を行った。1934年のことである。真珠湾攻撃の6年前、既に日本と英米は通貨をめぐって「戦争」状態にあったのである。


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2015/03/05

【読書】 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?--数千年に一度の経済と歴史の話  松村 嘉浩



私たちは現在、それまでの数百年と質的に異なる重大な環境変化を経験している。即ち、
・過去数世紀の間爆発的に増加してきた人口が、一部の先進国から順に減少に転じつつある
・全ての経済圏がグローバル経済に組み込まれ、地球上からフロンティアが消滅しつつある
・情報化により、人間の知的労働がコンピュータに代替されて消滅している

3点目がどれほど決定的な変化をもたらすかは見方が分かれるところだろうが、最初の2点により経済成長が限界に達していることは明らかである。過去数百年のような高い成長はもはや不可能であり、成長を前提としない社会構造や価値観に転換する必要がある。

ここまでは多くの人が「その通り」とうなずくところかもしれないが、実際には転換が進まない。ほとんどの人はその変化を「他人事」と捉えており、自分自身に変化が求められるとは思っていないからだ。

本書では、年金を求める普通のおじいさん・おばあさんが「既得権益者」であり、リーマンショックの元凶(遠因)であると正しく断ずる。いたって真っ当なこの指摘は、しかし多くの人にとってはショッキングかもしれない。
2007-08年に金融危機が発生したのは、端的に言えば「金融業界が過大なリスクを取ったため」というのが供給側に着目した説明であるが、需要側に着目すると、低成長経済に見合わない過大なリターンを求めた年金基金等の機関投資家の存在があり、その背後には、これまでと同じ予定利回りで計算された年金給付を求める受給者がいた。


ここからは私見だが、「60過ぎたら定年退職し、あとは豊かな年金暮らし」などという人生は、子供を4人も5人も育てた世代にのみ許された贅沢であり、「人口ボーナス」が存在した特異な状況下でのみ成立し得た文字通りの「ボーナス」だった。

4人の子供を育てた世代(団塊世代の親世代)と、子供を2人しか育てなかった世代(団塊世代)とで、年金の払い手の比率は半分になり、しかも余命は延びているのに、同じ水準の年金がもらえるわけがないのだが、多くの人はそうは考えない。政府が、日銀が、大企業が、何とかしてくれると考え、更には今の現役世代が自分が若かった頃の倍の保険料を払っても、自分の年金だけは守られて当然と思ってしまう。

本人たちに悪気はない。既得権とは元来、そういうものである。開業医も農協も労組も、自分を「既得権者」などとは考えたこともないだろう。ただ、これまであったものは正しいものだと強固に信じて、本人の主観のうえではいたって正当な、あるべき社会制度や最低限の権利を守ろうとしているだけなのだ。だから譲らない。だから変えられない。

社会保障給付という史上最大級の既得権の根源には、「真面目に生きてさえいれば、自分は何も考えなくても、それなりの生活が誰か(政府や企業)から与えられて当然だ」という、主体性を放棄した甘えがある。虚心坦懐に見つめれば、(経済的に困窮しているわけでもないのに)自分が払った以上の給付を他人の負担で受けようなどという助平根性は、自ら戒めなければならないと分かるはずなのだが、それを当然の権利と主張するこの思い込みは、実に抜き難い。著者は希望を持っているようだが、個人的には日本は財政的に行き詰まるまで変われないと思う。


なお巻末の補論には、以前ここでも書いたことと類似の視点からの金融政策に関する解説が入っており、非常に分かりやすい。



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