2017/08/28

シルバー民主主義は健在である

今日の日経新聞に「忖度しすぎ?シルバー民主主義」という記事が載っている。高齢者は実は負担増を受け入れる余地がある、という内容なので、意外感にかられて興味深く読んだが、随分と能天気な内容だった。

根拠として挙げられているのは、世論調査で「増税をして社会保障を拡大する必要がある」と回答した人の割合が高齢になるほど高かったから、というものだが、高齢者は今後死ぬまでほぼ確実にネットで受取超過なのだから、増税して(その大半は自分ではなく現役世代が負担する)、社会保障を拡大する(その恩恵は当面自分が享受する)という選択が、もっとも利己的である。

もちろん記事が指摘するように増税なしで給付が拡大すれば最高だが、それには限界があることには多くの人が気づいている。それよりも、誰かがしっかり負担して給付を(当面の間は)充実してくれた方がよい。(消費税で自分の負担が多少増えることもある程度は覚悟しているだろうが)

そもそもシルバー民主主義の最大の弊害は、既得権と化した社会保障の給付を減らせないことである。増税は先送りされているとは言え、部分的には一応実現したし議論も続いてる。対して社会保障の給付カットは、ほとんど議論もされていないのが現状である。

高齢者が社会保障の拡大を最も支持し、縮小に最も反対する、という今回の調査結果は、改革の絶望的な難しさを改めて浮き彫りにしただけで、何も新しくない。

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2011/01/13

世代会計の誤解 ‐ 「75歳以下はみんな損する」のウソ

元旦の日経新聞に世代会計のグラフが掲載された。

図1

これを見て「75歳以下の人はみんな損するのか!」と驚いた人も多いかもしれない。下記は、ネットで散見されたそんな声の一部である。

社会保障の損得は75歳が分かれ目

1/1(土)の日経朝刊の3面に社会保障の世代ごとの損得を世代会計に基づいて算出された損益の図がありました。
(中略)それによれば損益分岐点は75歳です。今のままの賦課制度が続く場合、75歳以下の全ての世代で純負担の赤字。

これはハッキリ言ってショックです。これまでの私の認識では、少なくとも公的年金の収支はプラスであるという認識でしたが、全体の社会保障ではマイナスです。これは医療や介護も社会保障の対象であることと、公的年金のうち厚生年金は企業と従業員で折半ですが、実際は従業員の給与が削減されることにより負担していると考えれば、従来の楽観的評価も変わってくるものだと言うことです。(後略)



世代会計という考え方の意味するものは?

(前略)団塊の世代は3千万円近く支払い超過。この世代が国から狙われていることが良く分かる。老人は圧倒的な受取超過。20歳台30歳台は2千万円程度の支払い超過。10歳未満と10歳台はなんと4千万円に迫る支払い超過。

自民政治で歪んだ、既得権の保護政治がこのように現れていると見たほうが自然だ。支払い超過は老人世代が恩恵を受けるのと公金をむさぼる利権に流れている。(後略)


しかしこれは大きな間違いである。
考えてみてほしい。お金を集めて分配するだけなら、支払超過と受取超過は全体で相殺されて、差し引きはゼロになるはずだ。ところが支払超過の方が人数も金額も圧倒的に大きい。これだけ多くの人が支払い超過なのだとしたら、その人たちが払ったお金はいったいどこに消えてしまったと言うのか? (何百兆円もの金額を、全て利権がむさぼれるわけがないではないか)

カラクリは単純で、世代会計で計算される「支払」の側には、社会保険料に加えて様々な税金の支払分が入っている。他方、「受取」側には年金・医療や福祉などしか入っていない。しかし政府はそれ以外にも、国防や警察・消防、公共事業など様々な仕事をしている。議会や裁判所からも国民は多大な便益を受けており、それらは全て公費で運営されている。

その便益分を「受取」に足し合わせれば、上の図で若干の支払超過になっている世代のほとんどは受取超過に転ずるはずである。多くの人にとって「支払超過」は錯覚であり、現在最も政治力がある団塊の世代が狙い撃ちされているなどというのは甚だしい誤解である。

ちなみに団塊の世代の負担額が大きいのは所得が高いからである。所得に対する負担割合で見れば若い世代と変わらない(上図の折れ線グラフ参照)。その高い所得は日本の硬直的な雇用慣行がこの世代の雇用と所得を守ってきた結果であり、そのしわ寄せは現在の若者に及んでいる。

なお専門家によれば、世代会計の計算方法は、

「税・社会保険料等は政府が個人から徴収するものですから負担(burden)、年金・医療等の給付(移転支出)は個人が政府から受け取るものですから受益(benefit)となります。

 この負担から受益を引いたものを純負担額(世代勘定)であり、それを年齢別に推計したものが世代会計です。」

「政府支出のうち、なにを政府から個人への「移転(transfer)」と考えるかで、世代会計の大きさが違ってきます。ちなみに、わが国の世代会計の試算(特に、内閣府の試算)では、「教育支出」や「社会資本ストックからの便益」を「移転=受益」として含む場合があります。」


とのことであるが、

「年金・医療等の給付」と、他の支出にも広く使われる「税・社会保険料等」との比較は、端的にApple to Orangeであって、論理的に正しいアプローチであるとは思えない。「受取」が社会保障なのであれば、「支払」側も社会保障費を賄うための負担に限定して計算しないと、意味のあるApple to Appleな比較にならない。

もっとも、これは現実的には難しいのだろう。
「受取」側は年齢ごとの受給額データがあるので問題ない。問題は「支払」側である。年金も医療も介護も、個人が支払う保険料だけで賄われているわけではなく国庫負担分、すなわち税金が投入されている。お金に色は無いので、各世代が払った税金のうちのいくらが社会保障に使われ、いくらがその他の支出に使われたのかは峻別不可能である。したがって、社会保障費の国庫負担分をどの世代がいくら負担したかは、分からないのである。
社会保障の支払いを切り分けられないのであれば、「受取」「支払」双方とも、社会保障以外も全て含めて計算したらどうか。「受取」側は、国防や警察のような公共財は全国民が平等に便益を受けたと仮定して、単純にその年の支出額を世代ごとの頭数に応じて割り振ればよいだろう。しかし実はまたも「支払」側が問題となる。法人税のような税金は、いったいどの世代がいくら負担したのかよく分からないので、割り振りようが無いのだ。
ということで、個人に紐付けやすい所得税や住民税・社会保険料などの「支払」と社会保障関連の「受取」だけを計算する、というのは(論理的には正しくないと思うが)やむを得ない妥協策なのかもしれない。

しかしこうして作られた数字は、極めて有害な誤解を生む。
Apple to Orangeを差し引きした純負担の絶対額にはほとんど意味が無い。意味があるのは世代間の相対的な差だけである(これもかなり問題があると思うが、参考にはなるだろう)。ところが多くの人は自分の世代の純負担の絶対額にまず着目し、本当は受取超過である世代を含め、皆が「自分は国家から搾取された被害者だ」と思い込むのである。
自分が受取超過だと言うデータを突きつけられれば、多少の負担増・受益減も仕方ないと思えるかもしれない。しかし既に支払超過と言われれば、「これ以上の年金減額などとんでもない!」と思うのが人情である。(経済学が仮定するように)人は皆利己的である。顔の見えない将来世代の天文学的な負債額などよりも、「自分の世代は得するのか損するのか」ということの方が、多くの人にとって、よほど重大で切実な関心事なのである。冒頭で紹介した記事は、それを如実に表している。

世代会計の研究者は皆、世代間格差に強い問題意識を持っているだろう。しかしそれを啓蒙するために作成されたはずのデータが、中高年世代をいっそう既得権にしがみつかせる方向にミスリードしているとしたら、これほど皮肉なことはない。

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2010/04/17

「子供手当で出生率が上がるか?」という愚問

子供手当をめぐって、相変わらずポイントのずれた論議が、国会でもマスメディアでもネットでも巷でも続いている。「子供手当で出生率を上げよう」と言っている人も、「子供手当では子供は増えない」と批判している人も、どれほど不毛な議論をしているか、頭を冷やして考えてみてはどうか。

民主党の子供手当は、子供を増やすための政策ではない。そうであるはずがない。

子供を増やすことが目的であれば、これから生まれる子供に限定して手当てを支給するのが最も効果的だ。ところが現行の子供手当の大部分は、既に生まれている子供の親に行く。もう生まれてしまった子供を対象にお金を配っても、これから生まれる子供の数が増えるわけがない。

既に生まれている子供達は、お金を配ろうが配るまいが現にもうそこにいるのだから、今後の出生率には関係ない。関係ない人にまでお金を配るのは、(出生率向上が目的なのであれば、)税金のムダ遣いである。5兆円という巨額のお金を2千万人近い現在の子供の親に配るという政策は、出生率向上を目的と考えれば、費用対効果がメチャクチャ悪いに決まっているのだ*。こんなのは、議論するまでもない、自明の理である。
同じ金額のお金を、出産一時金を増やすなり不妊治療を補助するなり、これから生まれる子供に限定して使った方が出生率を上げる効果が大きいのは、当たり前の話である。「現物給付か現金給付か」とか「所得制限を入れるか」などの問題ではなく、対象者がそもそもずれているのである。もちろん、子供手当で出生数も多少は増えるだろうが、それは副次的な効果である。

では、子供手当とは一体何なのだろうか?
それは、子供を育てている人と育てていない人との間で所得を再分配する政策である。したがって、問われるべきは「なぜ子供のいない人から税金を巻き上げて、子供を育てている人に支給しなければならないのか?」という正当性である。これは分配の正義の問題である。「お金を配ったら出生率が上がるのか」とか、「2万6千円が、子供を一人産もうと思うのに十分な金額か」とかは、ポイントを全く外した愚問なのだ(まあ、副産物と分かったうえでその効果を確認することに意味が無いわけではないが)。政府や民主党が、愚問が愚問だと分からずにいちいち付き合うから、混迷が深まるのだ。

では子供を育てる人に公費を支給する根拠は何なのか?
私見によれば、それは社会保障制度のフリーライダーである子無し世帯から、その担い手たる子育て世帯に所得を移転して、負担を平準化するためである(それ以外に、あの巨額の所得移転を正当化できる根拠があるとは思えない)。その趣旨をはっきりさせるためにも、政府は子供のいない人(私もその一人である)にはきちんと負担増を求めるべきだった。また、日本に帰化しようとしない外国人は、将来に亘り(子供の代まで)日本社会を支えるというコミットメントをしていないのだから支給するべきでないし、出稼ぎ外国人が母国に残してきた子供の分を支給するなどというのは論外である。

政権交代前後、民主党議員の多くは、「子供は社会のみんなで育てるべき」といった価値観を強調していた。だから私は、ようやく正しい再分配が行われると思って多少とも期待した。しかし今のこの迷走ぶり、閣僚の発言を聞いていても、手当の目的が全く共有されていない。メディアも目的の違いを全く整理できていない。目的がごっちゃになったまま、みんななんとなく不満を持つ状態が、ずっと続いている。詰まるところは、民主党政権の統治能力の限界ということなのだろうが。


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*もちろん対象者は時間とともに入れ替わり、15-6年も経てば制度導入後に生まれた子供ばかりになるが、それまでに何十兆円も「ムダ」にすることになるし、そもそもそんな先までこの制度が存続しているかどうかもかなり怪しい。

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2009/12/06

ミスリーディングな見出し - “4割が「子ども必要ない」=20~30歳代は6割-内閣府調査”

今日、意外なニュースが出て、あるSNSで多くの反響を読んでいた。

4割が「子ども必要ない」=20~30歳代は6割-内閣府調査

12月5日17時5分配信 時事通信

 内閣府は5日、男女共同参画に関する世論調査の結果を発表した。それによると、結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考える人は、2年前の前回調査に比べ6.0ポイント増の42.8%となり、1992年の調査開始以来最高となった。持つ必要があるとする人は同6.5ポイント減の52.9%だった。少子化の背景に、国民の家庭に対する意識変化があることを示した結果と言え、内閣府の担当者は「生き方の多様化が進んでいる」としている。
 調査は、10月1日から18日にかけて、全国の成人男女5000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は64.8%だった。
 子どもを持つ必要はないとした人は、男性が38.7%、女性が46.4%だった。年齢別では、20歳代が63.0%、30歳代が59.0%と高く、若い世代ほど子どもを持つことにこだわらない傾向が浮き彫りになった。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091205-00000078-jij-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20091206-00000049-san-soci



この記事、見出しだけ見ると、「子供は別にほしくないと思っている人が42.8%」と読める。意外に高いと思った人が多いだろう。当たり前だ。実態は全然違うのだから。

まず記事を読んでみると、「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考える人」が42.8%と書いてある。この「必要ない」というのが自分の希望なのか、それとも社会の一般論なのかで、意味するところは全然違う。

実際の質問を見てみると、その点が100%明確でないので、これは調査設計の問題でもある。以下の添付のように、これは4つの質問で一つのセットになっており、問題の質問はその(3)にある。


Q6〔回答票7〕 結婚,家庭等について,あなたの御意見をお伺いします。(1)から(4)までについて,この中から1つお答えください。

(1)結婚は個人の自由であるから,結婚してもしなくてもどちらでもよい
(42.8) (ア) 賛成
(22.3) (イ) どちらかといえば賛成
(18.0) (ウ) どちらかといえば反対
(14.8) (エ) 反対
(2.1) わからない

(2)夫は外で働き,妻は家庭を守るべきである
(13.8) (ア) 賛成
(31.0) (イ) どちらかといえば賛成
(28.7) (ウ) どちらかといえば反対
(23.4) (エ) 反対
(3.2) わからない

(3)結婚しても必ずしも子どもをもつ必要はない
(18.0) (ア) 賛成
(18.9) (イ) どちらかといえば賛成
(31.5) (ウ) どちらかといえば反対
(27.9) (エ) 反対
(3.8) わからない

4)結婚しても相手に満足できないときは離婚すればよい
(19.3) (ア) 賛成
(27.2) (イ) どちらかといえば賛成
(29.4) (ウ) どちらかといえば反対
(18.1) (エ) 反対
(6.0) わからない

http://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/3.html
(※21年版はHPになかったので、19年版から拾ってきた)



どうだろう?

4つの質問を通して見たとき、(3)は、「自分に子供が必要かどうか」ではなく「みんなが子供が持つような社会が望ましいのか」という一般論を聞いているように読めるのではないか。「私は欲しいけど、子供を持たないという選択も個人の自由だよね」と考える人は、「(どちらかといえば)賛成」につけるのではないだろうか。

例えば(1)は明らかに、「あなたは結婚したいですか?」ではなく、「結婚しないという選択も社会の中で尊重されるべきですか?」と聞いている。そうでないと、ここに65%もの賛成が集まるわけがない。その流れで、(3)も多くの人が、「みんなが子供をもつことが望ましいですか?それとも持たないカップルがいてもいいですか」という意味に捉えて回答したと考えるのが、自然だろう。そう考えればこの42%はちっとも不思議ではない。

もう少し正確な報道を心がけてほしいものだ。

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2009/10/24

人口ボーナス - アジアの経済成長をもたらしたもの

人口学の分野には、「人口ボーナス」という考え方がある。
社会・経済が発展する過程で、出生率が急激に低下して一時的に生産年齢人口の割合が向上することにより、経済成長率が高まる現象のことである。日本やそれに続くアジア諸国の経済発展は、この人口要因によってかなりの程度説明できるとも言われている。

日本の場合を具体的に見てみる。
1950年代~60年代は日本経済が年平均10%以上の成長率を達成した高度成長期である。この20年間で労働力人口(15-64歳)は43%(2,200万人)も増えた。分かりやすいモノへの欲求が強かった時代、供給さえ増加すれば、旺盛な需要に支えられて経済はいくらでも伸びた。

その影で忘れられがちだが、この間に出生率が劇的に低下している。日本の出生率低下は実は意外に早く、ベビーブームピークの1949年の4.32から、57年の2.04まで、たった8年間で半分以下にまで急落している。絶対数でみても、出生数は49年の268万人から57年の157万人まで激減した。(資料:内閣府)。

これを単にベビーブームの反動ということはできない。その後の出生率最高値は、1967年における、たった2.23である。1957年(昭和32年)の出生数は157万人は、なんと50年ぶり(1906年・明治39年以来)の低水準であり、その後は団塊ジュニアが生まれたわずかな期間を除き、200万人に達したことはない。

出生数と出生率

※戦時中のデータは欠落している


少子化と高齢化は、同時に到来したわけではない。先に来たのは、実は少子化であり、それから高齢化までの間には大きなタイムラグがある。

日本の人口構成の推移

人口構成をみると、1950年から70年までの間に、子供の割合は35%から24%まで、10ポイント以上低下した。
一方この間、高齢者の割合はほとんど増えていない。なぜかというと、人口拡大局面では、世代を遡るほどもともと生まれた数が少ない。また、当時は乳幼児や若年死亡率が高かったので、65歳まで生きられる人の数も今より少なかった。更に、医療技術が未熟で高齢者になってからの余命も短かった。だから、高齢者はまだあまり増えなかったのである。増えたのは、労働者世代である。特に1960年代には、団塊の世代が労働市場に流れ込んだ。

その結果、1960年代から1990年代頃まで、生産年齢人口の割合がその前後の時代よりも多い、という特殊な状況が生まれた。生産年齢人口の割合が大きい社会とは、高齢者や子供等の社会的弱者への負担が小さい社会である。また、労働者は貯蓄者でもあるから、生産年齢人口の割合が高ければ貯蓄率も高くなる。高い貯蓄率は社会資本や生産設備への投資を可能にし、経済成長を支えた。社会的強者が多い特殊な状況で、みんながよく働きよく貯蓄し、貯蓄は投資され、その結果として、経済が大きく伸びた。これが「人口ボーナス」の考え方である。

重要なことは、このボーナスはやがて必ず終焉するということだ。言うまでもなく、ボーナスをもたらす一要素である出生率の低下は、将来の生産年齢人口の低下に直結するからである。

やがて苦しい時代が来ると分かっているならば、一時のボーナスに浮かれることなく、将来に備えて貯金しておかなければならない。しかし日本は、それをせずに公共事業や社会保障の大盤振る舞いをした。その結果が、日本の国家・社会保障財政の現在の有様である。

日本に遅れて高い経済成長を実現した韓国・台湾・香港・シンガポールは、すべて出生率が現在の日本(1.3弱)よりも更に低く、1.1~1.2程度しかない。そして高成長を謳歌している中国でも、少子化が進行している。ためしに韓国と中国の人口構成の推移を見てみると、やはり成長率の高い時期は、生産年齢人口の割合が高い。そしてこれから人口減少・高齢化時代に突入する(中国も2030年代には人口減りはじめると予測されている)。これらの国々は、何も手を打たなければあと20~30年で深刻な事態に直面するだろう。

韓国の人口構成の推移


中国の人口構成の推移
http://www.stat.go.jp/data/sekai/02.htm#h2-03


アジアの国々は、日本の教訓を生かせるだろうか。シンガポールが医療費の強制貯蓄口座制度を導入していることは、その意味で興味深い。

先日、中国の医療政策に深くかかわっている中国系アメリカ人の学者と話す機会があった。この方曰く、中国当局は医療財政設計において、ほとんど高齢化シミュレーションを織り込んでいないとのことだったが。。。

なお、東アジア諸国が総じて貯蓄率が高く、経常収支が黒字である(=外国から借金をしていない)ことは救いである。将来貯蓄を取り崩すバッファーがあるからである。アジア諸国の貯蓄率が高い理由には、文化的要因等も挙げられるが、多くの国が人口ボーナスの局面にあるということも大きい。


余談だが、人口学の世界では、いまだに15-64歳を労働力とみなすのが一般的らしい。高校進学率が100%近い日本で15歳が「労働力」というのもおかしな話だが、今回はその慣例にしたがった。

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