2008/10/11

なぜ美術館には黒人がいないのか

以前、まだ日本に居た頃、別のブログにこんな日記を書いたことがある。

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3年前、前の会社の研修で2ヶ月弱ニューヨークに滞在していました。時間がたっぷりあったので、美術館や博物館にたくさん行ったのですが、あるとき来館者にほとんど黒人がいないことにきづきました。アングロサクソンはもちろん、ヒスパニックもアジア系もいるのに、黒人だけはほとんどいないのです。試しにMOMAで数えてみたら、その日300人くらい見た来館者のうち、黒人は2人だけでした。これは街でみかける黒人の割合に比べると圧倒的に少ない。

(中略)

すぐに思いつく理由は経済格差ですが、美術館(は)・・・それほどお金がかかるものではない、どちらかというと庶民の楽しみです。日本で見聞する情報からも、僕がNYに滞在していた頃の実感からも、美術館に行きたいと思っても行けないほど、全ての黒人が困窮しているとはとても思えない。行けないのではなくて、行きたいと思う人が少ないのだと思います。

(中略)

外へ外へと向かう好奇心があまり強くないのでしょうか。よく分かりません。時々考えるのですが、説得力のある仮説はまだ自分の中にはありません。

(後略)

2005年11月
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これは美術館に限らず、自然史博物館でも、クラシック音楽のコンサートでも同じだった。黒人はなぜ世界の芸術を楽しまないのか、その理由を私は黒人自身の気質に求め、そして答えを見出せずにいた。

その後特に深く考えることもなく月日が流れてしまったが、アメリカの歴史を振り返って考えると、むしろそれは当たり前のこととして理解できるのかもしれないと思うようになった。

その理由として私が今持っている仮説は、言ってしまえば何の新鮮味も無いのだが、人種差別の影響である。

私は1970年代の生まれだが、そのひと昔前、アメリカでは公民権運動の嵐が吹き荒れていた。その頃のアメリカ(の一部)では、白人と有色人種とでは、学校もレストランも電車の車両も公園のベンチも、全部別だったのだ。道で白人に殴られても泣き寝入り(警官も白人びいきだから)。混雑するバスに白人が乗ってきたら、黒人は席を立って譲るのが当たり前。黒人は、特に南部では日本人にはちょっと想像できないような差別を受けていたし、NYではハーレム等一部の地域に押し込められていた。

そんな時代にあって、白人ばかりが集まる美術館や、ましてクラシックコンサートなどに行ったらどうなるか。おそらく入場を制限されていたようなところもあっただろうし、表立った差別はなかったとしても、「何でここに黒人がいるんだ」という刺すような視線を浴び、いたたまれない気分を味わったであろうことは想像に難くない。そんな場所に、わざわざ休日の娯楽を求めて行こうと思うだろうか?あるいはそうした不幸な文脈に染められた白人芸術を、素直に賛美できるだろうか?

1964年にようやく公民権法が成立し、南部諸州で行われてきた法律上の差別は禁止されたが、法律ができたからといって人々の意識がそう簡単に変わるわけではない。私たちの世代がまだ小さかった頃などは、今よりもずっと目に見える形で差別が残っていただろう。

今日では、美術館に行っても黒人だからと言うだけで不当な扱いを受けたり不愉快な思いをすることはないと思う。でも親の世代が接していなかったから、きっとそれを楽しむという習慣がない。美術館の存在は知っているが、そこは自分が行くところだと思っていない。その状態のまま、なんとなく今まで来てしまった、というところではないだろうか。

すなわち、かつては差別という「行かない理由」があり、だから行かなかった。今は「行かない理由」はほぼ無くなったと思うが、ずっと行っていなかったから「行く理由」がない。だから敢えて行こうとも思わない、ということだと思う。


2002年にNYに滞在していた頃と比べると、最近はより人種間の融和が進んでいるような気がしなくもない。そうだとしたら、とても喜ばしいことだ。


DSC01082 - コピー

写真:NY近郊、タングルウッドのコンサート会場。白人(と少数のアジア人)しかいません(2008年8月)
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2008/10/09

ジェフリー・サックス教授の講演

NYU(New York University)にジェフリー・サックス教授の講演を聴きに行った。国連のMillennium Development Goalsをリードしている巨人経済学者であり、現在はコロンビア大学に籍を置いている。
貧困の終焉』という著書が有名で、その主張は、極めて大雑把に要約すると「現在の最貧国はpoverty trapと呼ばれる悪循環に陥っているが、援助を一気に拡大すれば、その循環から抜け出て自立的に経済成長できるようになる。そのようにして、2015年までに極度の貧困を世界から撲滅すべき」というものである。


さて、昨日の講義の要点は、①経済、②環境、③地政学、の3つの側面で、危機が非線形的(non-linear)に(=突然)訪れるので、それに備えてバッファーを準備しておくべき、というもの。

①はもちろん昨今の金融危機がその典型で、自己資本の手当てなくCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を売りまくったリーマン・ブラザーズは、信用不安とそれによる資本逃避が起こると、資金繰りが手当てできなくなり、あっという間に破綻に追い込まれ、株価はゼロに等しいレベルまで急落した。銀行(Commercial bank)もかなりリスクを取っていたが、相対的に規制が厳しかったため、レバレッジのかけ方に歯止めがかかり、ある程度自己資本を積んでいた。自己資本というバッファーの存在が生死を分けたのである。

②これと同様のメカニズムが、環境にも働いている。例えばニューファンドランドのタラの収穫量は、乱獲が進むにつれて徐々に減少した後、ある一点を超えたら一気にゼロにまで急降下した。リーマンの株価と同様に。ノルウェー沖のニシンでも同じことが起こった。
生物はある個体数を割り込むと繁殖のためのパートナーが不足するため、不可逆的に絶滅してしまう。この個体数をバッファーとしての「資本(キャピタル)」と捉えることができ、これが枯渇すると、絶滅の危機は一気に訪れる。「まだ大丈夫」という油断は禁物なのだ。

③最後に地政学(Geopolitics)である。これは他の2点より少しあいまいだったが、要するに、良好な国際関係(=地政学的資本)を普段から維持していれば危機にあっても紛争を回避できるが、これがないと、何かのはずみで一気に武力衝突に突入する、ということらしい。


ここまでをレクチャーした後、質疑応答に移ったが、これが圧巻だった。

実はサックス氏に対しては、元世界銀行のエコノミスト、ウィリアム・イースタリー氏等から批判や懐疑的な見方が向けられている。サックス氏が提唱する目標(上述の「2015年までに貧困撲滅」等)は非現実的で、援助資金は増えているのに成果は挙がっていない、それは現場の実情に合っていないからで、物量を増やしてトップダウンに押し付ける計画経済的手法はそもそもうまく行くわけがない、等々の批判である。

話がそこに及ぶと、これに対するサックス氏の反論は熱かった。

「私はアフリカの奥地の農村まで何度も何度も足を運び、現場を見てきた。例えばマラリアはアフリカにおける大きな脅威だ。蚊帳さえがあればかなり予防できるが、お金が無いために蚊帳が行き渡っていない。
私はよく、自分の娘がアフリカの村で蚊帳無しに眠ることを想像してみる。考えただけでも恐ろしい。しかしアフリカには、そのリスクに晒されている人たちがたくさん存在する。それを思うと、行動を起こさずにはいられない。
アフリカの全ての家庭に蚊帳を配るための予算は、ペンタゴンの一日分の予算にも満たない。ほんの少しのお金を集めて、蚊帳を配る。こんな簡単なことで、アフリカの人たちが何百万人も救えることが分かっているのに、なぜそれに協力できないのか。」

心なしか、目が潤んでいるように見えた。

「私は現場を知っている。そしてその現状とそれを変えるために必要なことを、毎日毎日様々な人に訴え、それを10年間続けてきた。現場に行かず、行動も起こさない人達(※先述のイースタリー氏は現場主義の人なので、ここには含まれない)が、なぜ口先だけで批判し、協力しないばかりか足を引っ張るようなことをするのか、私には理解できない。」


彼の言葉には、私も心を動かされた。なぜ彼がこんなに影響力がある人なのか、その理由が垣間見えた瞬間だった。

サックス氏は20代でHarvard大学の教授になった大天才だが、彼を世界のリーダーたらしめているのはその頭脳(だけ)ではない。ビジョンを持ち、自ら道を切り開き、その行動を示すことで人の心を動かせる、パッションと行動力こそが、リーダーシップの源なのだと思った。

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