2009/08/31

統治機構を考える(その5のおまけ):族議員と官僚の癒着

「その5」のおまけに、今日の読売の記事を添付します。

「族議員、もう守ってくれない」困惑の官僚

 民主党が新政権に向けて動き始めた31日は、国の各省庁が、来年度予算の「概算要求」を財務省に提出する締め切りと重なった。

 予算の大幅な組み替えを主張する同党が衆院選で大勝したという現実を前に、官僚たちの間には「新しい大臣は、どんな指示を出すのか」と動揺が広がっている。

 「これまでは大臣から何か言われても、自民党の族議員の先生が守ってくれた。でも、もはや通用しない」

 2兆9480億円の概算要求を提出した農林水産省。あるキャリア官僚は「マスコミが民主党の圧勝を予測していたので、選挙結果にはそれほど驚かなかった」と冷静を装いながらも、「どのような影響が出るのか、わからない部分がある」と不安を口にした。

 例年なら、概算要求の提出前に、自民党農水族に説明して「お墨付き」をもらうのが慣例だったという同省。それが今年は議員が皆、衆院選準備で地元に帰ってしまい、事前の根回し抜きの予算要求になった。ある幹部は「これから自民党に説明していいのかどうかもわからない」と困り果てた表情。

 概算要求を巡っては、民主党の圧勝が決まった直後のテレビ番組で、同党の菅直人代表代行が31日の要求の提出に触れ、「(各省庁が)『今さら変えるのには時間が足りません』と言ってくるのは目に見えている」と話した。

 財務省は当初、31日午前には、写真撮影のため報道機関に概算要求の様子を公開する予定だったが、この菅代行の発言を受けて急きょ中止に。例年、予算査定作業がスタートする31日に開いている主計官会議も取りやめになった。

 国土交通省も6兆9506億円もの概算要求資料の端々に配慮をにじませた。

 その一つが、国の公共事業費の一部を地方自治体が負担する「直轄事業負担金」。同党はマニフェストで廃止を訴えているが、同省は要求に「直轄事業等に関する検討」という項目を盛り込み、「今後、必要な検討を行い、適切に対応していくこととする」との一文を加えた。

 しかしダムなどの公共事業については従来通り要求しており、ある幹部は「今のままじゃいけないが、政権が決まらないと、どう変えられるかわからないので」と玉虫色の表現を解説した。

(2009年8月31日17時41分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090831-OYT1T01025.htm



大臣が何かを変えようとする、例えばある課の予算を減らそうとすると、その課の役人としては、権限も小さくなるし仕事の面白みもなくなるし内部的な評価も下がるので困ってしまう(そこに国民の血税という視点があれば、本当は困るばかりではないはずなのだが。。)。しかしかと言って、官僚が自らの上司である大臣に真っ向から逆らうわけにはいかないのです。

そこで、自民党の族議員に働きかけて、「予算を減らすな」と言ってもらうわけです。有力族議員は大臣より政治キャリアも党内の立場も上だったりする。また、族議員が表立って反対し出すと、大臣は「党内をまとめ切れないヤツ」という目で見られたりするし、メディアもそういう扱いで面白がって書く。そうなると大臣は立場が弱くなってしまうので、よほど腹を据えて闘うのでなければ、腰砕けになってしまうというわけです。

官僚は、(多くの場合)族議員とセットになってはじめて強力な抵抗勢力となるのです。だから官僚組織の旧弊を打破するには、与党・内閣の一元化が大事なのです。
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2009/08/29

統治機構を考える(その6):民主党の5原則・5策

ようやく民主党のマニフェストに戻ってきた(当初の想定よりずっと長くなってしまった・・・)。

その1で述べたように、民主党はイギリス型政治を目指している。前回の表に即して言えば、、、
1.政府と議会の関係に関しては、与党・内閣二元体制からの脱却を目指している。この点は後述する。
2.議員と政党との関係で言えば、自民党と比較すれば、候補者よりも政党に重きを置いた選挙を展開していると言える。政策内容はマニフェストで統一されているし、資金面でも民主党は党本部からの一律の補助が結構手厚い。なお民主党のマニフェストに盛り込まれた比例定数の80削減は、比例代表制が政党単位の選挙であることを考えると政党主導から遠ざかるようにも思えるが、小選挙区制の徹底は二大政党制をもたらすので、これもイギリスに近づく方向である。
3.議会の役割を今後どうして行くかは未知数だが、民主党は党首討論等を積極的に利用して国会を「アリーナ」として活用するように努力してきたと言えるだろう。ただしこの点はむしろ、野党になる自民党の対応によって大きく変わるかもしれない。

さて、一元化の問題である。もう一度5原則・5策を引用しよう。

5原則
1.官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。

2.政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。 

3.各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。 

4.タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。

5.中央集権から、地域主権へ。


5策

1.政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務3役)、大臣補佐官など国会議員約100人を配置し、政務3役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。 

2.各大臣は、各省の長としての役割と同時に、内閣の一員としての役割を重視する。「閣僚委員会」の活用により、閣僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する。事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う。 

3.官邸機能を強化し、首相直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。 

4.事務次官・局長などの幹部人事は、政治主導の下で業績の評価に基づく新たな幹部人事制度を確立する。政府の幹部職員の行動規範を定める。 

5.天下り、渡りのあっせんを全面的に禁止する。国民的な観点から、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、中央・地方の役割分担の見直し、整理を行う。国家行政組織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する。


一元化は5原則の2番目に掲げられている。 前回述べたように、日本のいわゆる官僚主導の問題は、官僚と与党に残った族議員(および業界団体)が結託して内閣に抵抗してきたことにある。そしてそれらは、官僚からのイニシアティブばかりでなく、業界団体や政治家の意向が強く働いていた場合も多い。官僚主導を改めるには、内閣が一致団結してリーダーシップを発揮することが絶対に不可欠であり、そのためには与党・内閣を一元化することは必須条件である。5策の2番目で「各大臣は、各省の長としての役割と同時に、内閣の一員としての役割を重視する」とあるのも、内閣の結束を強める趣旨である。これまでは大臣が官僚や族議員に突き上げられて省益寄りの言動をし、官邸の改革案に反対することが多かったからである。

5策の1番目の「100人政府入り」というのは目に付くが、前回述べたように、現在でも大臣・副大臣・政務官合わせれば70名近くが政府に入っているので、100人という規模はそれほど目新しくはない。むしろ、任期(一内閣一閣僚のような)に触れてほしかったが、政府に入る政治家を増やすという方向性は評価したい。

2と4は政治主導を確立する道具立てで、3は縦割りを廃する仕掛けである。

私はこの5原則・5策の方向性はいずれも評価するが、あえて不満を言うならば、与党・内閣二元体制
を是正する具体的方策があまり書かれていないことである。「政調会長は必ず入閣する」などの発言もあったが、結局マニフェストや政策INDEXには入っていない。政府入りする国会議員を30人増やすだけでは、甚だ心もとない。
具体的には、①党の実力者は全員入閣し、「党の要職」というものを基本的に全廃する、②「部会」も廃止し、議会の中の委員会に議論の場を移す、③国会議員と官僚との接触を禁止する法律を速やかに制定する、などが行われれば、一元化は貫徹されるだろう。

民主党はもともと官僚や業界団体との関係が薄いという面もあるが、日教組や労組など、民主党寄りと目されている団体もあるし、業界団体の中にはすぐに政権与党に擦り寄るところが出てくるだろう。意識的に構造を改革し、議員の行動を規律していかないと、やがて個々の議員が族議員化して新しい「鉄のトライアングル」ができてしまう。


内閣・与党一元化が成功するかどうかは、組閣によってかなりの程度はっきりする。実力者が閣外にいて「ポスト鳩山」をうかがい、内閣の足を引っ張ったりするようでは、一元化は貫徹されない。例えば、表舞台から身を引いた小沢一郎氏と、近年執行部から距離を置いている前原氏の動向などは気になるところである。

なお、小沢氏は実は、もう20年近く前から内閣の強化や一元化を訴えてきた。彼の『日本改造計画』を読むと、それを確認できるだろう。小沢氏は現時点では、入閣する可能性は低いと見られているが、彼が閣外から「院政」を敷くようでは、本人が20年前から主張している内閣の強化と矛盾する。その意味でも、小沢氏の人事とその後の振る舞いには注目していきたい。

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2009/08/29

統治機構を考える(その5):「官僚主導」の一言では片付かない日本の問題

これまで3回にわたり、イギリスとアメリカの制度を比較してきた。

もう一度まとめると、イギリスの議院内閣制は、与党と内閣が一体となって政府を形成し、マニフェストで定めた政策を断行する、権力集中型のシステムである。それを徹底するために、候補者みんなが同じマニフェストを説明して回り、選挙後は党議拘束をかけて妥協なき政策実現を図る。そして、次の選挙までの間、政府を監視する役割を野党に担わせ、国民に争点を見せるためのアリーナとして、議会が機能している。

一方アメリカは、議会と政府が別々に選ばれて相互に牽制しあう権力分散型である。議会と政府は別なので、「与党」や「野党」という概念も希薄である。政治家は個人単位で活動し、党議拘束はない。そのため、議会は交渉と調整によって法案を修正する場となる。

イギリスは多数決で決めてどんどん実行する政治。アメリカは一つ一つの案件につき幅広いコンセンサスの醸成を図る政治である。

では日本はどうか。前々回の表に日本を加えたのが下の表である。
米英の比較まとめ

イギリスとアメリカ双方の要素が混在し、独自のシステムを作り上げているのが日本である。しかも、その制度設計には明確な意図がなく、どちらかというと、歴史的経緯の中でなんとなく作り上げられてきたものである。端的に言えばそれは、権力が過剰に分散した結果、首相の指導力が弱くならざるを得ない仕組みであり。


1.議会と政府の関係

日本はイギリスと同じ議院内閣制の国なので、一応衆議院の多数派の党首が首相になることになっている。しかし内閣と与党が一体かというと、とてもそうとは言えない。

イギリスでは、政権をとった政党の有力議員はこぞって内閣に入り、政府の要職に就く。ところが日本の自民党政権では、「元○○大臣」といった有力者が与党に残る。入閣するのは中堅とベテランの間くらいの議員である。

与党には党三役(幹事長、総務会長、政調会長。近年これに選挙対策本部長が加わった)が存在し、内閣とは別に調査会や政調会といった組織を持ち、政策決定や法案審査に強い影響力を持つ(こうした機構や手続きはイギリスには全く存在しない)。この構造は「与党・内閣二元体制」などと呼ばれている。こういう仕組みだと、内閣が政策を打ち出しても、「党の有力者」達から横槍が入るため、変化を起こしにくい。こうして、内閣にとっては「与党」という存在が障壁として立ちはだかることになる。

もう一つの問題は、内閣に官僚を統率する能力が無いことだ。まず政府に入る議員の人数がイギリスよりは少ない。(そこで民主党はこれを100人に増やすと言っているのだが、現在も70名以上が政府入りしているので、100名というのは実は驚くほどの数ではない。)それ以上に問題なのは任期である。閣僚の大半は1年前後で交代してしまう。1年ではどんなに優秀な人間でも大した成果の出しようがない。また人選も、本人の専門性とはあまり関係なく行われる。大臣就任記者会見で「これから勉強します」と言っているくらいで、その一年後には交代するのだから、これではその道のプロである官僚に太刀打ちできるわけが無い。(ちなみに小泉氏はこの任期の延長を図って、当初は「一内閣一閣僚」という方針を掲げていた。しかしその後、与党の諸派閥と抗争を繰り広げる中で人事カードを有力な手段として用いるようになり、数次に亘る内閣改造を行うことになる。)

この点は特に重要なので、後で戻ってくる。


2.議員と政党の関係

これも日本は中途半端である。まず日本の政党は基本的に党議拘束をかけるので、その点では政党の強い統制が効いている。しかし選挙に関しては、日本の二大政党は完全に候補者中心である。候補者が自分で金を工面し、個人後援会を組織し、本人の顔と名前を売って戦う。(例外は公明党と共産党で、この2つは党組織をしっかり作って政党中心の選挙を行っている。選挙カーを聞いてみると、両党は候補者名ではなく政党名を連呼しているのではないだろうか。)

イギリスは政党単位で活動し、政党を評価する選挙である。アメリカは議員個人単位で活動し、候補者個人を評価する選挙である。どちらも筋が通っている。ところが日本は、党議拘束があるし議員立法も少ないので、個人としての議員活動の実績は見えにくい。しかし選挙は個人単位で行われる。その結果、議員は実績を求めて地元への利益誘導に走るという側面もあるのではないだろうか。

そもそも、イギリスの場合には、マニフェストを長い時間をかけて作りこみ、それに(少なくとも大筋では)納得した人が選挙に出ているという建前がある。だから、党議拘束をかけることにも合理性がある。しかし日本(の特に自民党)のように、候補者がてんでバラバラなことを言い、まともなマニフェストも作らずに選挙に望むような方式では、選挙のときに候補者が有権者と約束していなかったものが法案として出てくることになり、党議拘束をかける正当性に欠ける。


3.議会の機能

端的に言えば、アリーナ機能も変換機能も満足に果たして来なかったのが、日本の議会である。与党案には党議拘束がかかり法案は修正されずに成立してきたので、変換機能は果たしてこなかった。他方、かつての野党には、政権を担おうという意思も能力も無かったので、「アリーナ」で対案を示すようなことも無かった。そのため審議は低調になりがちだった。



さて、議会と政府の関係に戻ろう。
与党に残って内閣の政策に横槍を入れるのが、俗に「族議員」と呼ばれる人々である。族議員とは、ある特定の業界や政策に詳しく、その分野の業界団体から献金を受け、官僚に口利きをすることで業界団体への便宜を図るような議員のことである。この「族議員」「官僚」「業界団体」をあわせて「鉄のトライアングル」と呼ばれたりする。以下はこれを図示したものである。

日本の統治機構



「族議員」「官僚」「業界団体」の三者は、それぞれに互いにメリットがある形で強固に結びついている。

まず族議員と業界団体との癒着構造は、最も単純で分かりやすい。業界団体は、族議員に陳情して様々な便宜を図ってもらう見返りに、カネか組織票でそれに報いる。「便宜」とは、業界の利益に反する法案に反対の声を上げてもらったり、官僚に口利きしてもらって許認可がスムーズに下りたり何かの指定業者に選ばれるよう取り計らってもらったりすることである。

次に官僚と業界団体の関係では、官僚は業界団体を指導する立場にあるが、天下りを受け入れてもらう癒着構造にある。両者の利害は一致しない場合も多いが、基本的には業界の繁栄は所管部署の利益にもなるため、それを脅かす勢力、例えば異業種参入組や外資に対しては、両者が結託して抵抗する傾向がある。

最後に族議員と官僚の関係である。族議員は官僚から政策に関する情報をもらい、様々な指図をする。時には選挙区への露骨な利益誘導もある。官僚にはそうした不正には逆らいたいという気持ちもあるが、政府の政策を実現するためには、族議員に味方になってもらって政策を後押ししてもらいたい。逆に、有力族議員が与党の部会等で政府の政策に反対したりすると、政策が潰されるなど面倒なことになる。ということで政策の説明(根回し)に言っているうちに、有力族議員の口利きには逆らえなくなってしまうのである。
こうした癒着を防ぐために、イギリスでは国会議員と官僚の非公式な場での接触が禁止されている。もちろん入閣した議員は官僚にとって上司にあたるわけだから当然日々やり取りをするが、政府に入っていない議員が官僚に口利きをしたり、逆に官僚が議員に政策の「ご説明」に行ったり、というようなことは一切禁じられている。政府に入っていない議員は、法案が議会に提出されてから、議会の場で質疑をする。非公式な場で事前説明を求め、口を出すようなフライングはご法度なのだ(ただし選挙前は例外)。

実際の人間関係、組織間関係はいろいろと複雑なのだが、非常に単純化してしまえば、日本では「与党」「官庁」「業界団体」の三者間それぞれに上記のようなWin-Win関係が成立する。その結果、与党と官僚に挟まれて浮いてしまうのが、首相と内閣である。首相は内閣支持率を上げたいので、大多数の国民を利する政策を実行したいというインセンティブを持っている(それがポピュリズムなのか、正しい政策なのかは別にして)。しかし、その政策が特定業界の利益を害する場合には、鉄のトライアングルが結託して反対することで政策が通らなくなってしまう。
よく「官僚主導」が諸悪の根源のように言われているが、官僚だけで全てが決められるわけではない。官僚は族議員や業界団体と結託するからこそ、政治のリーダーシップに抵抗できるのである。問題は三者が結びついたシステムなのである。

こういう構造では、よほど稀有な政治的駆け引きの名手で無い限り(小泉氏はそれだった)、首相はリーダーシップを発揮できない。

今年は麻生首相が発言し、それに与党議員(や業界団体等)が反発し、首相が発言を修正ないし撤回することで「ブレた」と批判されることが何度かあった。これは麻生首相自身の政治力の問題でもあるが、仮にも首相が打ち出した方針に対して、与党の議員が、内容を吟味もしないで公然と真っ向から反対するという光景が日常的に見られるというのも、それはそれでおかしくはないだろうか。こうしたことは何も今に始まったことではなく、福田氏の時も安倍氏の時もあったし、何より小泉氏の時が一番激しかった。こんな構造だから、日本ではみんなの意見を聞いてバランスを取る調整型のリーダーが首相になりやすいのである。


今回の内容について更に詳しく知りたい方は、ぜひ飯尾潤『日本の統治構造』をご一読あれ。
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2009/08/27

統治機構を考える(その4):議会の機能-「真剣勝負」と「できレース」?

3.議会の機能

前回書いたように、アメリカには党議拘束がないので、議会で審議してみないと、法案や予算が成立するかどうかは分からない。議員の立場は予め決められているわけではないから、法案の内容によって賛成に回ったり反対に回ったりする議員がいる。そこで法案を通したい議員は、提出した後にも、より多くの賛成が得られそうな形へと法案を修正していく。アメリカの議会は法案を実際につめて、修正(変換)する場なのである。よく言えば、議員個々人が自分の政治信条に基づいて、その場での「真剣勝負」の議論でベストな法案を練り上げていくということである。それは、党議拘束が無いからこそ成り立ち得るスタイルである。

一方、イギリスには党議拘束がある。与党の議員は政府の議案には基本的に皆賛成するのである。与党議員は議会の多数派であるから、政府が作る法案は必ず可決される。ほとんど修正もされない。勝負はやる前から分かっているのであり、言わば「できレース」である。

ここまで読むと、ほとんどの方は「アメリカ型の方がいいではないか」と思ったのではないだろうか。しかし、それがそう単純ではないのが、政治システムの難しいところである。

その場で反対派の意見をどんどん取り入れて法案を修正していくというアメリカ型では、条件闘争による多数派工作が行われる。その過程では、制度の本来の主旨を歪めるような修正も行われざるを得ない。また、議員同士の間で「今回はお前の法案に賛成してやるから、今度別の法案ではオレに協力してくれ」といった政治信条もへったくれもない取引が、不可避的に発生する。その結果でき上がるのは妥協の産物である。様々な意見を入れて玉虫色の折衷案を作るくらいなら、どこか一つの政党が、統一的な理念に基づいて一貫性のある政策を作ってくれた方がよい、という考え方もある。こうした考え方に基づいて、まずは権力を預けてやらせてみる、というのが、イギリスの制度である。

ただし、その時にただ権力を預けてしまっては、独裁になってしまう。そこで政権には厳しい監視の目を光らせ、批判にさらさなければならない。そしてダメだと分かったら次の選挙で交代させればよい。そのために重要な役割を果たすのが、議会での審議なのである。

先に、イギリスでは政府の法案はほぼ修正されずに原案のまま可決される、と述べた。それでは議会は何のために存在するのか、と疑問に思われた方もいるだろう。その答えが、前回の表に書いた「アリーナ」である。

政府の法案は可決されると分かっているので、野党はそれを否決に追い込んだり、抵抗して妥協を引き出そうとは最初から考えていない。では何をするのか。政府を批判して、政策の盲点を明らかにしたり、対案を提示するのである。
と言っても、政府に聞いてほしくて提示するのではない。政府が簡単にそれを聞き入れて「私たちが間違っていました」と方針を覆すはずが無い。ここでの主なオーディエンスは政府や与党ではなく、国民である。
「与党政府の政策は間違っている。我が党ならば、まったく別のこういう理念に基づいて、こんな政策を実行する」と国民に訴えかける、その演説の場(アリーナ)が議会なのである。どれだけ批判しても、政府の政策はすぐには変わらないだろう。しかし、国民はそれを聞いて与党政府と野党の政策を比較することができる。そして次の選挙で審判を下す。そうすることで、チェック機能を働かせ、政権の独裁と暴走を防ぐ。それがイギリス流の民主主義なのである。


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2009/08/27

統治機構を考える(その3):議員の独立性(党議拘束と選挙)

前回は議会と政府の関係におけるイギリスとアメリカの違いを述べた。ここで他の2つのポイントも含めた、英米の比較表を提示しよう。

米英の比較まとめ


2.議員と政党の関係

統治機構を比較する2番目の視点は、政党と議員との関係(議員の独立性)、すなわち、政党が所属議員をどこまでコントロールし、議員はどの程度自由に活動できるか、というポイントである。この議院の独立性を決定するうえでクリティカルな二大要素が、党議拘束と選挙のあり方である。

党議拘束とは、議会での議案採決の際に、政党が所属議員に賛否を強制することである。イギリスは党議拘束があり、与党の議員は原則として全員、政府提出法案に賛成する。一方、アメリカには党議拘束はなく、民主党議員が提出した法案に、同じ民主党の議員が反対したり、共和党の議員が賛成したりする。

選挙の面でも両国は全く違う。アメリカでは候補者個々人が、自分で資金を集め、自分で選挙区を決めて、自分個人の政策や実績をアピールして戦う。日本と同様、地盤・看板・カバンが物を言う、候補者中心の選挙である。金をもらわない代わりに指図も受けないのがアメリカの候補者なのである。

一方イギリスでは、候補者は政党の政策を説明して回る。候補者独自の政策というものは打ち出さない。また、資金面でも政党が面倒を見る決まりで、個人の持ち出しは上限が百数十万円までと定められている。誰がどの選挙区から出るかも、政党の本部が決めて配置する。イギリスでは落下傘が当たり前で、地盤は関係ない。選挙の度に候補者が選挙区を移ることも日常的である。あらゆる意味で、候補者は政党に統制されるのである。

以下はご参考までに、ある政治ジャーナリストのブログの引用である。

<前略>英国の選挙は政党のマニフェストを選ぶ選挙で、決して候補者を選ぶ選挙ではない。従って候補者には自分を売り込む宣伝カーもポスターも選挙事務所も要らない。政党の政策パンフレットを持って戸別訪問するだけである。有権者にマニフェストの内容を説明し、政党への投票を呼びかける。有権者が意識する個人は説明に来た候補者ではなく、政党の党首すなわち次の首相候補である。だから英国民は政党の政策と首相を選ぶ選挙をやる。選挙費用は政党が賄うから候補者にはほとんどかからない。従って選挙区と候補者の結びつきもなく世襲も生まれない。

 ところがアメリカの選挙は全く違う。アメリカは候補者を選ぶ選挙である。候補者は自分がどういう人間か、どれほど地域の役に立つか、自分の政治信条は何かなどを訴える。選挙費用を稼ぐためにパーティを開き、寄付を集めて回る。選挙費用を集める能力が政治家になるための最も大事な能力と言っても良い。だからアメリカの議員は政党の政策に縛られない。議会で党議拘束はなく、従って採決は予断を許さない。議会での真剣な討論の結果で法案の行方が決まる。<後略>

田中良紹 「公職選挙法の珍奇(2)」 



党議拘束というのは、あまり評判がよくなく、“その1”で挙げたように、廃止論を唱える人も多い。確かに、「決定を党に委ねるのではなく、議員一人ひとりが責任をもって自分で考えて結論を出すべきだ」「議員は全て選挙で国民に直接選ばれた代表だから、政党が束縛するのはおかしい」といった主張は、一見正しく聞こえる。しかしイギリス、日本を含め、ほとんどの議院内閣制の国では、何らかの形で党議拘束を採用している。それは、議院内閣制にとって必要な仕組みだからである。なぜか?

議院内閣制における首相は、国民の選挙で選ばれて首相になったわけではない。その正統性の根拠はあくまで、国民の代表たる議会が首相を支持していることである。そこが怪しくなった瞬間に、首相の権力の正統性も怪しくなる。実際、議会は内閣不信任案という形で、首相を解任する手段を持っている。これは、国民に直接選ばれている大統領と決定的に違うところである。

こういう仕組みの下で、党議拘束を無くしたら何が起こるだろうか?
内閣提出法案に造反して反対票を投じる与党議員が出てくることになる。この与党議員は「内閣は支持するが、この個別法案には反対」というロジックを立てるだろうし、それは理屈としては成り立つかもしれない。しかし現実問題として、何度も造反を繰り返している議員は、本当に内閣を支持しているのか、疑義が生じるだろう。また、内閣の根幹政策での造反は、それ一発で内閣不信任と同視されても仕方ないだろう。こうした議員に対しては、当然、野党から更なる造反や引き抜きの働きかけが行われるだろう。こうした議員が増えれば、与党内にも「首相降ろし」の動きが出てくる。それが、政治という権力闘争の現実である。そんな状態では、首相のリーダーシップは発揮できないし、政権は安定しない。安定しない政権は、何も実行できない。

議院内閣制の首相の権威・権力の源泉は、議会の過半数が、常に、一致して、彼/彼女を支持していることである。それを担保するためには、政党による統率が必要なのである。
アメリカの大統領であれば、こういう話にはならない。もちろん法案が通らなければ大統領も困るが、国民から直接選ばれている大統領は、議会に支持されていなくても権力の正統性がある。「私は国民に支持されている。間違っているのは議会の方だ」と堂々と主張すればいい。だから党議拘束は必要不可欠ではない。

また、そもそもイギリスの政党の執行部は、ただ自分の気の向くままに所属議員を縛り付けているわけではない。イギリスでは、選挙のときにマニフェストで方針を提示して、それに賛同した人だけが選挙に出馬しているという建前がある。したがって、国民にそのマニフェストが選択されて政権をとればそれを粛々と実行して行くのが与党議員の役目ということになる。造反は有権者との契約違反であり、造反者を出さないことが与党の責務とも言えるのである。

コピー ~ DSCF1549

写真:投票への参加を呼びかけるイギリスのポスター。ロンドン市内の地下鉄にて(2009年5月)


(続き→)議会の機能-「真剣勝負」と「できレース」?
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2009/08/26

統治機構を考える(その2):大統領制と議院内閣制

日本の統治機構は、いろんな組織や委員会が乱立し、どこにどんな権限があるのか、とても分かりにくい。その仕組みや問題点、解決策は、日本の制度だけを見ていてもよく分からないのである。

そこでまず統治機構の単純な理念型を理解した上で、それと日本がどのように違うかを見ていきたい。理念型として参考になるのが、民主主義の二つの母国、アメリカとイギリスである。日本はこの中間で、両国の特徴を併せ持ちつつ、独自の側面も持っている。


イギリスとアメリカの制度を比較する際のポイントは以下の3つである。
 1.議会と政府の関係
 2.議員と政党の関係
 3.議会の機能

この全てについて、イギリスとアメリカは正反対である。両国は、それぞれ異なる理念・思想に基づいて、両極端のシステムを作り上げたのである。

※これから紹介するのは単純化したモデルで、イギリスにもアメリカにも様々な例外的な規定や慣行がある。また、これらの両極端のモデルのどちらかがベストということではなく、その中間形がベストかもしれない。ただし、双方のいいとこどりをするためには確かな戦略に基づいた緻密な制度設計が不可欠であり、日本のように無原則に双方の要素を混ぜたシステムは、機能しないのである。


1.議会と政府の関係

まず、アメリカの大統領制から見ていこう。
大統領制は、国民が立法府の代表者(議員)と行政府の代表者(大統領)をそれぞれ別々に選ぶ仕組みである。政治に民意を反映させる経路は、図に赤い矢印で示したように、2本ある。1本は国民が議会の議員を選ぶルート。もう1本は、国民が大統領を選び、大統領が長官を選び、長官が官僚を指揮していくルートである。議会と政府は国民から別々に選ばれ、互いに牽制しあう関係にある。いわゆる「三権分立」の制度である。

大統領制(中)




他方、イギリスの制度は議院内閣制である(日本も議院内閣制)。
議院内閣制とは、議院が内閣を作る制度であり、民意を政治に反映させるルートは1本である。国民は議員を選び、議員が首相を選び、首相が閣僚を選び、閣僚が官僚を指揮していく。そこで重要なことは、議会と政府の一体性※である。国民は首相を直接に選ばず、議会に選出を委ねているので、議会と一体でない(議会がコントロールできない)政府には、国民のコントロールが及ばないことになってしまうからである。
繰り返すが、政府と議会多数派は「分立」ではなく「一体」であることが、議院内閣制の要諦なのである。この基本中の基本を分かっていない人があまりにも多いため、日本の政治制度を巡る議論はいつも混乱している。我々が小学校の頃から金科玉条のように教え込まれている「三権分立」はアメリカのような大統領制の原則であって、イギリスや日本のような議院内閣制にはしっくり当てはまらないのである。

※正確には、議会多数派=与党と政府の一体性である。野党と政府は、当然ながら、緊張関係にある。そうでないと、独裁体制になってしまう。

議院内閣制(中)


上に見た違いは、大統領や首相の選び方だけの問題ではなく、制度の様々な部分にまで徹底されている。以下、その一部を概観する。


①首相/大統領および閣僚の地位
イギリス:首相をはじめ大臣は、全員必ず国会議員。150人前後の与党議員が政府入り。
アメリカ:大統領も長官も、議員出身である必要はない。議員と大統領や閣僚の兼任は不可。

イギリスは、議会と政府の一体性を重視するから、首相や大臣は国会議員でなければならない。そして大勢の与党議員が、実際に大臣や副大臣等のポストで政府に入って行政を動かす。
逆にアメリカでは、議会と政府の緊張関係を重視するから、大統領や長官は連邦議会議員出身でなくてもよく(実際、知事や民間人出身者が多数)、むしろ大統領や長官は連邦議会議員であってはならない。すなわち、連邦議会議員が大統領や閣僚になる場合には、議員を辞職しなければならない。この規定に従い、オバマもヒラリーも、上院議員を辞職した。
両国は、全く正反対なのである。


②議会による内閣不信任/首相・大統領による議会の解散
イギリス:下院はいつでも内閣不信任を議決して内閣を辞めさせることができる。首相は逆に議会の解散権を持つ。
アメリカ:議会の大統領解職権はきわめて限定的(弾劾裁判で法律違反を問う場合のみ。政治責任は問えない)。大統領による議会解散権は無い。

イギリスの仕組みでは、議会が首相を選んでいる。首相の正統性の根拠は、国民の代表たる議会に選ばれていることであり、首相は議会に責任を負う。だから議会は、首相が間違っていると思えば、自分達が選んだ首相を辞めさせることができる。国民に直接選ばれた議会は、議会によって選ばれた首相・内閣よりもエライ(強い正統性を持つ)のである。ただし、首相の側にも議会を解散して国民の信を問い直す権限を与え、バランスをとっている。
一方アメリカの大統領は、議会とは別の選挙で国民に直接選ばれている。だから議会と大統領は対等であり、議会と大統領の見解が違ったからといって、議会が大統領を辞めさせていいということにはならない。

別の言い方をすると、議院内閣制は、議会(の多数派)と政府が一体となって政治に当たる制度だから、両者の方針が一致していることが前提であり、そこが一致しないと政府が機能不全に陥る。そこで、そうした不健全な状態を解消するための方策を議会と首相の双方に授けている。一方、アメリカの大統領制では議会と大統領は別々に選ばれているから、そもそも両者の方針が一致しているという前提がない。一致しなければ一致しないなりに牽制しあってやって行け、というのがアメリカの仕組みである。


③法案の作成と提出
イギリス:大部分の法案は政府が作り、閣僚が議会に提出する
アメリカ:法案は全て議員が作り、議会に提出する

与党の議員が政府に入って政策を作るのがイギリスの議院内閣制なので、法案は政府が作り、議会に提出する(厳密には「政府提出法案」という形はなく、大臣等が国会議員としての立場で法案を提出する)。「政府と議会が一体となって政治に当たる」とは、このようなことを意味する。政府に入っていない議員が個人として提出する議員立法も存在するが、数は少なく、例外的な存在である。
他方アメリカでは、政府と議会は別々に活動するのが建前なので、政府に議会への法案提出権はない。法律は全て個々の議員が作り、提出するから、日本のような「政府提出法案」というものは存在せず、議員立法のみである。だから個人名がついた法律がたくさんある。大統領が進めたい政策に法律の裏づけが必要であれば、その趣旨に賛同する議員を見つけて法律を作成・提出してもらわなければならないのである。


④拒否権
イギリス:首相には、議会に対する拒否権は無い
アメリカ:大統領は議会の法案に対する拒否権を持つ

アメリカでは、議会を通過した法案に対して大統領が拒否権を持つ。拒否権が行使された法案は議会に差し戻され、上院と下院で3分の2で再可決されない限り成立しない。大統領にこのような権限が認められているのは、大統領は国民から直接選挙で選ばれており、議会と対等の正統性を持つからである。
一方イギリスでは、首相の権力の正統性は議会に由来するから、首相が議会の法案を拒否するというのは、社長が株主総会の決定を拒否するようなものである。そんな権限が首相に認められることは、原理的にあり得ない。


以上のように、イギリスとアメリカの議会・政府関係は全く違う。

イギリスでは、議会が政府を作るのであり、両者は一体となって活動している。国民は首相の選出を議会に委ねているので、議会と政府が一体であることが、政府に対する国民のコントロールを担保する唯一の道である。議会と政府が一体であるということは、権力が一元化されているということである。首相は常に、政府の長であり、かつ議会の多数派のトップでもある。強大な権力が与党・政府、そしてその長である首相に集中しているのである。

他方アメリカでは、議会と大統領は別々に選ばれて別々に活動する。それぞれが国民の代表であり、それぞれが牽制しあう、チェックアンドバランスの仕組みである。日本では一般に大統領制における大統領には強大な権力が集中していると誤解されているが、議会と政府の双方を押さえている議院内閣制の首相と比較すれば、議会をコントロールできない大統領は、制度上弱い立場にあることは明らかである。

しかしそれでは議院内閣制の首相である日本の内閣総理大臣が強い権限を握っているかというと、とてもそうは見えない。首相は常にいろんな人から足を引っ張られ、リーダーシップを発揮できないようになっている。それはなぜなのか、その核心に迫る前の準備として、次回はイギリスとアメリカの制度比較の残りの論点をまとめる(2.議員と政党の関係、3.議会の機能)。


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写真:イギリスの国会議事堂(2009年5月)


(続き→)議員の独立性(党議拘束と選挙)

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2009/08/26

統治機構を考える(その1):民主党のマニフェスト

民主党がマニフェストで「5原則」「5策」という統治機構改革を掲げた。
私は民主党のマニフェストの個別政策に対しては多くの異論を持っているが、この統治機構改革だけは高く評価している。しかしこの部分はこれまでメディア等では十分報道されておらず、そのインパクトが理解されているとは言いがたい。そこで、これから数回にわたって、この改革が何を目指しているのかを解説してみたいと思う。

「5原則」と「5策」はそれぞれ以下の通り。


5原則
1.官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。

2.政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。 

3.各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。 

4.タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。

5.中央集権から、地域主権へ。


5策

1.政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務3役)、大臣補佐官など国会議員約100人を配置し、政務3役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。 

2.各大臣は、各省の長としての役割と同時に、内閣の一員としての役割を重視する。「閣僚委員会」の活用により、閣僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する。事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う。 

3.官邸機能を強化し、首相直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。 

4.事務次官・局長などの幹部人事は、政治主導の下で業績の評価に基づく新たな幹部人事制度を確立する。政府の幹部職員の行動規範を定める。 

5.天下り、渡りのあっせんを全面的に禁止する。国民的な観点から、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、中央・地方の役割分担の見直し、整理を行う。国家行政組織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する。


 
周知のように、日本の統治機構は多くの問題を抱え、国民から全く信頼されていない。
政治は普通の国民一人ひとりの声を聞かずに、一部の人の利益を図るように動いている。政治家は自分が当選して金儲けすることにのみ腐心し、政策が分からないから官僚の言いなりだ。その官僚は天下りポストを増やして税金を懐に入れることしか考えていない。こうした不信感は国民に広く共有されており、それは当を得た批判だと思う。

しかしそこで、政治家や官僚個々人や個別の政策・不祥事を批判していても、何も変わらない。問題なのは、そういう政治家・官僚を生み出すようにできているこの国のシステムである。システムを変えない限り、生み出される政治家や官僚は変わらず、そこから生み出される政策の質もまた、決して変わらないのである。

統治機構改革は、政策という製品を製造する工程のオペレーションを改善するようなものである。政策というアウトプットの質を高めるためには、それが作られるシステム全体の構造と仕組みを理解し、それが機能不全に陥っている問題を見抜き、流れを変えるための的確な手を打たなければならない。問題の表面だけを見て部分的に制度をいじっても、問題は解決しないばかりか、むしろ悪化させることもあり得る。

たとえば、以下に列挙した政治改革案を見てほしい。

1. 大臣には、国会議員ばかりでなく、民間人も積極的に登用すべきだ

2. 国家のリーダー選出に国民の声が直接反映されるように、首相公選制を導入すべきだ

3. 官僚主導の現状を是正するため、議員立法をもっと増やすべきだ

4. 政党だけでなく、議員一人ひとりがマニフェストを掲げて自らの主張や構想を明らかにすべきだ

5. 党議拘束は廃止すべきだ。法案への賛否の決定を党に委ねるのではなく、一人ひとりが責任をもって自分で考えて結論を出すべきだ。議員は全て選挙で国民に直接選ばれた代表だから、政党が束縛するのはおかしい

6. 政治家個人への企業献金は一応禁止されたが、様々な抜け道がある。徹底的に禁止すべきだ

7. 議員が政策立案をするには、専門のスタッフが必要だ。現在は3人しかいない公設秘書を大幅に拡充するべきだ



これは巷でよく聞かれる政治改革論をいくつかピックアップしてみたものである。どれももっともらしい提案と思われるかもしれないが、実はこの中には日本のシステムにはなじみにくかったり、相互に矛盾する提案も含まれている。

この点、民主党の統治機構改革は、明確な意図を持ったものであり、一つの思想が貫かれている。結論から言えば、それはイギリス型の二大政党制民主主義を日本に根付かせようというものである。イギリス型が本当に日本にとって望ましいのか、ということについては様々な意見があると思うが、私は民主党の提案を、1990年代以降に行われてきた政治改革を更に前進させ、日本に民主的政治システムを機能させ得る一つのモデルを目指す改革案として、肯定的に評価したい。

ここでは、まずイギリス型のシステムとは何かということを、イギリスと反対の極に位置するアメリカとの比較を通じて明らかにした上で、これら2カ国の要素+独自の要素が複雑に入り混じった日本の現状のシステムのどこが問題なのかを分析し、「イギリス型を目指す」ということの意味を考えてみたい。
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2009/08/24

【読書】 だまされないための年金・医療・介護入門  鈴木亘

社会保障制度の中心を成す3つの制度(年金・医療・介護)を、主に財政と経済学の視点からわかりやすく解説した入門書。厚労省や社会保障国民会議の議論の問題点や現在の改革案の限界が非常にわかりやすく指摘されており、読み進めるうちにモヤモヤがすっきりしていく感覚を覚える。現在の日本の社会保障の一般向け解説書として、最高の良書の一つだろう。
重要な指摘がいくつもあるが、個人的に大きかったのは積立方式への以降が現実的な選択肢であることに納得できたこと。以下に若干の解説を試みる。

現在の日本の社会保障制度は、年金も医療も介護も、現役世代が退職世代を支える「賦課方式」になっている。このため、少子高齢化が進んで社会保障の受け手が増えて担い手が減ると、受け手の給付を減らしたり担い手の負担を増やしたりしなければならなくなる。ここに「世代間格差」が生まれる。ここまでは常識だろう。

一方「積立方式」は、老後の年金を現役時代に自分で積み立てておいて、後で取り崩して使う制度だ。自分が積み立てた分を自分で使うのだから、「担い手」と「受け手」の数は基本的に同じである。だから少子高齢化の影響を受けず、世代間格差は生じない。

したがって積立方式に移行すれば問題は解決しそうなのだが、ひとつ大きな問題がある(と言われてきた)。それが「二重の負担」の問題だ。現行制度は賦課方式だから、今の現役世代が払っている分はそのまま今の退職世代の年金に使われて消えてしまっている。今から積立方式に移行しようと思ったら、移行期の現役世代は親の世代の年金を払いつつ、自分の老後の年金も積み立てなければならない。移行期の世代に過大な負担がかかってしまう。これが「二重の負担」問題である。

この「二重の負担」が実はたいした問題ではなく、積立方式への移行は十分に可能である、というのが、本書の重要なメッセージの一つである。

その理由は3つある。これは言い換えれば、「二重の負担」問題を考える際に無意識に置いてしまいがちな3つの前提が、実は正しくないということである。

第1に、移行は一気に行うとしても、移行時期の退職世代の社会保障費はその時期の現役世代だけが背負わなければならないわけではない。その前後の世代にまで広く薄く分散すればよい。そしてそれは、第2・第3の理由から、可能である。

第2に、積立方式の積立金を政府が常に蓄えておく必要はない。単純に考えると、積立方式では現役の間は一方的に積み立てるだけだから、何百兆円ものお金がどんどん蓄えられていくことになる。しかし考えてみれば、使われないお金をこんなに政府が溜め込む必要はない。足りないお金は世代間で融通し合えばよい。移行期の現役世代が払う年金の大部分は親の世代に使われてしまうが、その移行期世代の退職後の年金は、その後の世代が払う年金保険料から充当すればよいのである。
それでは賦課方式と変わらないではないかと思われるかもしれないが、それは違う。「積立方式への移行」とは、現役:退職比率によって保険料や支給額が変動する仕組みをやめて、世代ごとに勘定を管理し、全ての世代が払った分と同じくらいもらえるようにするという原則に移行することである。その原則を確立し、世代間格差が生じないように負担と受給を調整すれば、後ろの世代のポケットからお金を借りてやりくりすることは問題ないのである。

第3に、既に積み上がっている積立金の存在がある。もともと日本の年金制度は少子高齢化が進む前に積立方式として始まったので(その後、無原則に給付を拡大したため、なし崩し的に賦課方式に移行した)、現役世代が圧倒的に多かった時代に積み上げた積立金が厚生年金だけでも130兆円ある。本来は670兆円なければならないそうなので、8割近くが消えてしまったわけだが、それでも130兆円のバッファーがあり、理論的には、これがマイナスにならなければ年金財政は破綻しない。積立方式の原則を確立し、きちんと見通しを立てて運用すれば、この130兆円をバッファーとして活用することは可能である。

ただし、本来必要な積立額をすでに8割も使い込んでしまっているので、当たり前のことながら、ある程度の(というかかなりの)負担増はいずれにせよ必要である。それは、我々の子供や孫の世代に破滅的な借金を回すことを回避するために必要な負担である。

あまりうまく説明し切れていないが、興味を持った方はぜひ本書を読んでほしい。納得できるだろう。


他にも以下のような疑問をお持ちの方には、とてもよいガイダンスを提供してくれることと思う。読み進めると、きっと政府への怒りが湧き上がってくると思うが。。。

・自分の世代は他の世代と比べて、ぶっちゃけどれくらい損/得するのか?

・自分の子供たちの世代になったら、社会保障費の負担はどうなってしまうのか?

・政府は何をもって年金が「100年安心」と言っているのか?

・それを批判する人は、なぜ安心できないと言っているのか?具体的にどこに問題があり、いつどんな形でそれが現れるのか

・「マクロ経済スライド」って何なのか?

・後期高齢者医療制度はそれまでの制度と何が違うのか?

・介護市場はなぜ人手が足りないのか?


だまされないための入門


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2009/08/23

民主党躍進の伏線を敷いた小泉純一郎

今日の民主党の躍進の一番の立役者は、小泉純一郎氏と言えるかもしれません。
ただしよく言われるような、「小泉構造改革路線が支持を失い、予想外の民主党の躍進を招いた」という意味ではありません。

自民党が選挙に勝てなくなったのは、格差が拡大したからでも「行き過ぎた市場原理主義」が支持を失ったからでもなく、小泉氏が自民党の伝統的な支持基盤だった集票組織を徹底的に破壊し、選挙戦の「ゲームのルール」を、組織票固めの争いから、無党派層が雌雄を決するものへと変えてしまったからです。
そしてそれは予想外でもなんでもなく、小泉純一郎氏が意図したこと、少なくとも「想定の範囲内」であり、「未必の故意」があったと、私は確信しています。

選挙戦の「ゲームのルール」が変わったことについては、4年前の郵政選挙の直後に別のところに書いたので、まずそちらを引用したいと思います。



自民圧勝でも、二大政党化は進む
2005/09/12 20:43

自民党のこれほどまでの圧勝には、率直に言って驚きました。

さて、この選挙結果を受けて、二大政党制は遠のいたという意見が主流のように見えますが、決してそんなことはないと、僕は思っています。

従来の自民党の強さの源泉は「組織票」と「アイデンティティの欠如」であったと思います。
組織票は言うまでも無いことですが、「アイデンティティの欠如」とは、もう少し正確に言うと「与党である、ということ以外にアイデンティティが無い」ために、他党が新しい政策を出しても、「その改革ならうちも考えてますよ」と融通無碍に模倣できるということです。
与党も野党も同じことを言っているのであれば、与党の方が実行力があるに決まっているので、自民党は与党で居続けることができるのです。

今回小泉さんは、この自民党の伝統的な強さに依存せずに、勝ちました。組織票に依存せず、「郵政民営化」という領域で明確なスタンスをとり、それを訴えて、勝ったのです。
重要なのは、投票率が上がり無党派層が勝敗を決したということと、「郵政一本槍」との批判はあったものの、有権者が政策を選択した選挙であったということです。

今回自民党は大勝を収めましたが、その勝利は、未来永劫攻略できないように思われた鉄のトライアングルに比べればはるかに脆弱な基盤に立脚したものです。次の指導者が(あるいは小泉さん自身が)失敗をすれば、そしてそのときによりよい他の選択肢が存在すれば、有権者は簡単に離れていくでしょう。

民主党は、郵政民営化での真っ向勝負を避けたという致命的なミスによって今回惨敗を喫しましたが、長期的な目で見ればそれは一つの敗北に過ぎず、勝負のルールは確実に民主党に有利な方向に変わりつつあるように思います。自民党しか勝てなかったルールから、民主党でも勝ち得るルールへと。自民圧勝の裏では、集票組織の弱体化が進んでいるでしょうし、有権者が政策に目を向けるようになったというのは、民主党にとってはポジティブな材料です。
もちろん、政権奪取は簡単ではないでしょうし、時間もかかるでしょうが、かつての圧倒的に不利な戦いを強いられていた状況に比べれば、より対等に近い戦いを挑めるようになりつつあると思います。
そしてそのルールを作っているのは、他ならぬ、今回自民党を歴史的大勝に導いた小泉純一郎その人なのです。

小泉さんは、きっと、このような選挙戦略が自民党支配の永続化には逆行することを頭に入れながらやっているのでしょう。彼の深謀遠慮には計り知れない所があります。バランスはあまりよくないけど、やはり偉大な政治家なのだと思います。

(引用終わり)



構造改革と郵政選挙が自民党支配の永続化に逆行し、民主党を利するものであったことは、4年前から分かり切っていたことで、小泉氏ほどのケンカの天才が、そのことに気づいていなかったはずがありません。4年前、大勝に浮かれる自民党議員たちを彼がどういう気持ちで眺めていたのかは知りませんが、いずれにせよ、「自民党をぶっ壊す」という公約だけは、彼は忠実に、徹底的に、実行したのです。それは様々な政治課題を巡る闘争を通じて徐々に行われ、その集大成が郵政選挙でした。

強固な地盤を誇った多くの古参議員が刺客の前に敗れ去り、その刺客たちが頼りにしたのは無党派層の風でした。
おかげで自民党の集票組織はガタガタになりました。郵便局のネットワークはもちろん自民党を離反し、今は国民新党や民主党の候補を支持しています。日本医師会では茨城県支部が民主党候補を支持するという反乱が起き、他の地域でも足並みがそろっていません。建設業界は長年にわたる公共事業の削減でボロボロになりました。農家も小沢氏主導のバラマキ政策でだいぶ民主党支持に流れました。

いま自民党は、民主党との差別化キャンペーンに必死です。「責任力」というキャッチコピーは、与党としての実行力をアピールするというこれまでの方針の延長線上で、特に目新しいものではありません。しかし政策面でも、「民主党の子育て支援はバラマキだが、自民党はきちんと教育にお金を出す」「民主党は消費税を上げないと言っているが、自民党は景気が回復すれば上げる」などと、違いを打ち出そうとしています。更にここに来て、労組や日教組の主張を批判するビラを作成し、安全保障戦略や性教育の方針等で差別化を打ち出しています。

自民党がこんな選挙広報をやっているところを見たことがありません。そもそも広報自体をたいしてやっていなかったということもありますが、民主党とは差別化をしないということが、郵政選挙以前まで一貫して取られてきた自民党の戦術でした。自民党の伝統的な民主党対策は、上述のように、政策で民主党と差がなければ、実行力で自民党が上回る、という前提に立ち、民主党のマネをすることだったのです。

「政策で差がなければ、実行力で自民党が上回る」、これこそが自民党常勝を可能にする唯一のロジックでした。政策での差別化は、唯一絶対の与党としての地位を自ら下り、相対的な存在に成り下がることを意味し、自民党にとっては自殺行為です。そうせざるを得ないほど、自民党は追い詰められてしまったということなのですが。

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2009/08/22

【読書】 外交敗戦-130億ドルは砂に消えた 手嶋龍一

元NHKワシントン市局長手嶋龍一氏による、湾岸戦争勃発時の日本外交のドキュメンタリー。

湾岸戦争で日本は130億ドル(約1.5兆円)もの財政支援をしたにもかかわらず、イラク軍から開放されたクウェートが発表した30カ国の「恩人」リストに日本の名前はなく、国際社会からも高い評価を得られなかった。こうした事態がなぜ起こってしまったのか、具体的個人を実名で挙げながら、丹念に検証していく。

端的に言えばそれは省庁間の連携不足の結果であり、外務・財務・運輸等の関係各省が情報連携を怠り、ミスが出る。その根底には相互不信があるわけだが、そのミスが更に相互の不信を呼ぶという負のスパイラルに陥っていく過程が浮かび上がる。現場の個々人は各省のエース級の人々だし、それぞれの立場で、合理的な行動を取っている。それは必ずしも、しばしば指摘されるような単純な省益優先やエゴのぶつかりあいばかりではなく(そういう側面も無いわけではないが)、それぞれの立場に、「国益を最優先した」という言い分がある。そしてそれぞれの言い分の前提には、つまるところ「彼(か)の省は信用できんので、国益を守るためには、うちとしてはこうするしかないのだ」という自負があるのである。現状認識、ゴール、戦略等が共有されない中で各個がバラバラに「国益」を追求した結果、チーム日本は外交戦において惨めな敗北を喫することになる。官僚組織の限界の源は、エゴではなく相互不信なのかもしれない。

もう一つ浮き彫りになったことは、国の基本的な外交戦略における国民と為政者との認識のギャップ(武力行使は絶対反対の国民と、国際貢献のためにある程度必要だと考える政治家・官僚)が固定化してしまった不健全な状況における外交の限界である。その結果、自衛隊が輸送する物資に医療資材は積んでもいいが、武器・弾薬はダメだというおかしなレトリックを立てざるを得なくなっている。

手嶋氏の徹底した取材と鋭い分析にはただただ舌を巻くばかりである。また、単調なドキュメンタリーではなく、生々しい情景や心情の描写を織り交ぜて、純粋に読み物としても楽しめる作品になっている。わが国の歴史上の重要な事件の一つを記録した貴重な書として、広く・長く読まれるべき良書だと思う。


 外交敗戦―130億ドルは砂に消えた
 新潮文庫
 手嶋龍一
 2006年6月(初版は1996年だったかな)
 
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