2011/05/30

【読書】FREE - Chris Anderson



Gmail, Youtube, Skype, Facebook等々、我々は日々さまざまな無料サービスを利用している。21世紀に入って突如急増したこの無料サービス(”FREE”)はいったいなぜ成り立つのか、なぜこんなにも増えたのか。その背景とビジネスモデルを、歴史や経済理論にも触れながら多角的に整理したのが、本書である。


FREEをもたらした重要な社会変化は、言うまでもなく情報の電子化とインターネットの普及である。
映画・音楽・ゲーム等のコンテンツやソフトウェア・ニュースなどの情報は、ひとたび電子的に記録されれば瞬時に大量複製することが可能になった。更に、情報・サービスのやり取りもオンラインで行えるようになり、店舗費用やパッケージング・ストレージ・輸送の費用も要らなくなった。こうして、marginal cost(製品・サービスを1つ追加的に提供するために、追加的にかかる費用)は限りなくゼロに近づいているので、初期投資や固定費の部分を度外視すれば、限りなくゼロに近い単価で販売しても提供者が元を取ることは、可能である。経済学が仮定するように、競争的市場における価格がmarginal costで決まるのであれば、marginal costがゼロの商品の価格はゼロになる。

またインターネットの波及力は、あるコンテンツやサービスにひとたび火がつけばそれが爆発的なスピードで伝播し得る可能性を生んだ。先に「初期投資や固定費の部分を度外視すれば」と書いた。もちろん現実には度外視はできないわけだが、巨大な利用者人口がいれば、一人当たりの固定費は極めて小さくなる。

とは言え、これだけでは商品をタダにすることはできない。規模に比して少額とは言え、固定費を回収しなければビジネスは成り立たないからである。
そこで、利用者に課金してはどうか、と誰でも考えるわけだが、そうするわけにはいかない。膨大な利用者はタダだからこそ集まってくるのであり、小額でも料金を徴収すれば、たちまち離れて行ってしまうからである。本書によれば、それはネット時代の潮流というよりは人間の心理に根ざしたものである。どんなに小額でも料金を課せば、利用者はクレジットカードの登録等の手間に加えて、毎回「便益が価格に見合うか?」と考えることを強制される。その心理的負担(mental transaction costs)は時に巨大な障壁となる。例えばグーグルの検索が毎回1円でも料金を課したら、検索回数は激減するだろう。そもそもタダでなければ人々は初めから手を出さないから、注目されることもなく終わってしまう。Mental transaction costsを取り払うことによる圧倒的な吸引力こそが、FREEの魅力なのである。
物があふれている(abundance)現代の先進国には、明白に顕在化したunmet needsがない。人々が物に飢えていた時代であれば、よい物を安く作ればいくらでも売れたが、今は廉価であれ無料であれ、人々が欲しがるものを生みだすことこそが難しい。課金は、たとえ少額であっても、人々を遠ざけるに十分なハードルになるのである。

ここで発想を転換しよう。FREEの世界では、巨大な利用者人口こそが大きな資産である。世の中には、その価値を評価してくれる人がいる。そこで利用者人口の価値を、それを評価する特定の人たちに売るのである。Googleのように第三者(広告主)に売るケースもあれば、オンラインゲームのように利用者の中の一部にプレミアムサービスを販売して得た収入で全体のシステムを支える場合もある。広告主は、検索エンジンやGmailの巨大な利用者人口(とターゲティングの正確性)に価値を見出して広告費を払うのであり、オンラインゲームのプレミアム会員は、大多数の無料プレーヤーが構成する巨大なゲームコミュニティでより優位に、あるいは快適にプレーすることに価値を見出すからこそ、料金を払うのである。
いずれにしても、重要なのは極力多くの利用者を引き付け、引き止めることである。巨大な利用者人口さえ手に入れれば、そこから金を生むことはどうにかなる。それが本書の言うFREE経済での考え方である。

結局のところ、単純化すればGoogleのビジネスモデルは半世紀も前から存在するテレビやラジオのそれと本質的に変わらない。魅力的なサービス/コンテンツを無料で提供して大衆を引き付け、その大衆に宣伝をしたい広告主からお金を取っているだけである。もちろんその手法はinnovativeだし哲学は新しくて美しいが、メールも地図もニュースも、すべてはGoogleの魅力を高めて訪問者数を最大化するためのコンテンツであり、それはテレビの視聴時間を最大化するためにテレビ局がさまざまな番組を用意するのと同じことである。
ただし20世紀との決定的な違いは、そのような巨大な人口へのアクセスが、国家によって寡占的に割り当てられた電波を通じてではなく、Webというオープンな空間によって誰にでも可能になったという点である。今、その世界における圧倒的な成功者・支配者となったGoogleの牙城は誰にも崩せないように見えるが、5年後、10年後の世界は誰にも分からない。


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2011/05/29

発明は必要の母 Invention is a mother of necessity.

一般的な熟語は「必要は発明の母(Necessity is a mother of invention)」であり、人類は必要に迫られて様々な工夫を凝らして発明をしてきた、といった意味で使われる。しかし物事はしばしばその逆で、単に誰かが好奇心で発明をし、その技術を見た別の人が始めてその用途を考え付くことも多い。

1877年にエジソンが蓄音機を発明した時、彼はその用途として、死者の遺言を吹き込む、盲目の人のために本の読み聞かせをする、時報を伝える、オフィスで会議を録音する等々を考えたが、世間の関心を得ることができなかった。それを改良して音楽を流すジュークボックスを作ったのは全く別の人であり、エジソンは当初この改変に反対したという。(cf.『銃・病原菌・鉄』)



世界で最初のパソコンは、Honeywellが1969年に発売した料理のレシピ収録機だという。たったそれだけの機能で1万ドルもしたこの製品は、全く売れなかったそうだ。今我々がPCで行っている様々なことへのニーズ、あるいは「必要性」は、当時のアメリカ社会には一つも存在しなかったのである。

iPodが生まれる前、音楽好きの人にとって、その日聞きたいCDかMDを朝選んで持っていく、というのは当たり前の習慣だった。今となってはそんなこと面倒くさくてとてもやっていられないわけだが、自分が持っている音楽を全てポケットに入れて持ち歩きたいなどという野心を持つ人は、当時ほとんどいなかった。それが変わったのは東芝が2000年に容量5Gの1.8インチHDを開発してからであり、それに目をつけたAppleが爆発的なヒット商品を生み出してからである。(cf.『FREE』)


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