2013/02/23

【読書】 社会生物学論争史 ウリカ・セーゲルストローレ



人間に広く見られる感情や行動、文化等(の少なくとも一部)が進化の過程に帰することができるという考え方は、現在は広く社会に受け入れられているように思う。しかし1975年にエドワード・O・ウィルソンが『社会生物学』という大著(様々な生物の社会性を進化学的に解き明かした)の最終章でこうした考え方を提示したとき、それは生物学の垣根を超えて哲学・倫理学、政治思想等様々な分野の専門家から強烈な批判を浴び、大論争を巻き起こしたのである。戦前の優生学への悔恨・反省・敵意が今よりもはるかに色濃く学者たちの心に刻み込まれていた当時、人の性質や能力に関して「氏か育ちか」を論ずることは、そして特に前者の役割を強調することは、とてもセンシティブなことだったのだ。1979年にはリチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』という挑戦的なタイトルの本を著し、この論争は一層熱を帯びることになる。

本書は、その後20年続くこの論争を間近で観察し続けた社会学者の手による論争史の記録である。その主眼はあくまでも「論争」自体、即ち論争を展開した科学者たちの立場や動機、科学者間のやりとりの経緯を記述し、それを題材にして科学とは何なのかというメタレベルの問いを考えることにあるので、進化生物学上の諸説の理論的内容はそれに必要な範囲で簡単に触れられる程度である。読み物としては面白いが、学説の流れや違い(例えば自然淘汰がいかなるレベルで起こるのか、という論点について、ドーキンスが遺伝子レベルの血縁淘汰のみが有効とする立場だったのに対し、ウィルソンは個体レベルや群レベルも含めた多層的な淘汰を主張したとされる)は、本書を読むだけではあまりよく分からない。

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2013/02/14

【読書】 貿易黒字の誤解 - 日本経済のどこが問題か




もう20年近く前に書かれた本だが、特に冒頭の数章は今でも価値が高い。

多くの人(「エコノミスト」など、経済の専門家と言われる人々も含め)は、貿易赤字(ないし経常収支赤字)は問題で貿易黒字がよいことだと、直観的に思っている。どんどん生産して輸出して、海外から外貨を獲得すれば、貿易黒字が拡大し、そして国が豊かになる、という発想である。

こう考えるとき、人は無意識に前提を置いている。国内には生産能力が余っており、海外で日本製品に対する需要が増えれば生産を拡大して輸出を増やすことができる(この時国内の需要は一定である)、という前提である。こういう構造であれば、確かに貿易黒字の拡大で国は豊かになるだろう。

マクロ経済学の下記の恒等式に照らすと、

Y = C + I + G - IM + EX
* Y:GDP C:消費 I:投資 G:政府支出 IM:輸入 EX:輸出


EXが増えてYも増える、という構造である。

一方、GDPが増えなくても貿易黒字が増える状況は考えられる。国内の消費や投資が冷え込んで、作った物が国内で売れず、余った分が輸出に回るという構造である。上の式で考えると、CやIが急減して、Yは一定(あるいは微減)の時、EXが増えるという状況である。

言い換えれば、最初の考え方は、他の要素は一定として輸出が貿易黒字とGDPの大きさを決めると考える。後者の考えは、他の様々な要素の結果として、輸入と輸出の差額としての貿易黒字が決まると考える。どちらが正しいと言えるようなものではないのだが、GDPと貿易黒字の相対的な大きさを比較すると、GDPの方がはるかに大きいわけだから、後者の考え方の方がより実態に近かろう、というのが本書の立場である。

以上のような考察がとても分かりやすく整理されていることが、冒頭で書いた本書の「価値」である。


それにしても、経済学者が「ことはそう単純ではない」と長年指摘しているにもかかわらず、前者のような考え方が社会に根強いのはなぜだろう。おそらくそれは、そちらの方が普通の人の生活実感に合うからだろう。自分が働く企業で海外から大きな商売が取れれば、きっと生産を拡大して輸出を増やし、企業の売上も増えて自分のボーナスも増えるかもしれない。そのメカニズムを単純に国に敷衍すれば、前者のような考え方に行き着くのは自然な発想である。しかし個々の企業において成り立つメカニズムが、相互に複雑に依存する国の経済システムに成り立つとは限らない。これも合成の誤謬の一つなのだろう。

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