2013/04/13

【読書】 羽生善治と現代 梅田望夫




ウェブ進化論で有名になった梅田望夫さんが、こんな将棋ファンだとは知らなかった。梅田氏は自らは指さない将棋ファンだそうで、強くなくても、自分では指さなくても、スポーツのように観戦だけする将棋ファンがいてもいいじゃないか、というのが本書の一つのメッセージである。

さて、本書の主題である羽生氏が台頭する前の将棋界には、(礼儀作法に関わることだけでなく)将棋の指し方にも様々な掟やしきたりがあったらしい。たとえば名人は居飛車の「本格派」でなければならないとか、穴熊はアマチュアの戦法とか。強者と認めるためには、勝負の型にも美学を求めるところは大相撲に似ているかもしれない。
羽生善治という稀代の棋士は、単にその圧倒的な強さのみならず、将棋界のタブーに一つずつ挑戦してそれを打ち壊してきた風雲児でもあった。将棋には矢倉とか穴熊とか、いろいろな定跡形があり、それぞれの戦型に進むまでの先手・後手双方の駒の進め方にもある程度決まった順序が存在する。従来の将棋では、序盤戦は先手も後手も、その決まった手順通りに予定調和の駒組を進めて、それができあがったところで「さあ開戦」となるのが普通だった。しかし羽生は予定調和の途中で相手の隙を突いて急戦をしかけたらどうなるかということを延々と考え、そして実戦に取り入れた。これによって将棋の序盤戦は格段に複雑化し(棋士は大変だと思うが)、序盤戦から勝負に緊迫感が生まれるようになった。例えば藤井システムという画期的な戦法が編み出されたのも、そのような流れの中にある。

3月末には渡辺明氏が郷田真隆氏から棋王の座を奪って三冠とし、七冠のうち6つを羽生氏と渡辺氏が分ける形になった(残り1つの名人位をここ3年守っている森内名人に羽生三冠が挑戦する)。今期はいよいよ、渡辺氏が羽生世代に本格的な世代交代を迫る年になるのかもしれない。

しかし棋士ってのは楽しそうだけどしんどい職業だと、改めて思う。勝負の過程を全て衆人環視に晒して自分のアタマ一つで勝負するというのは、頭脳は当然として精神も強くないととてもやっていられないだろうな。

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2013/04/09

【読書】 生成文法の企て ノーム・チョムスキー




人間の脳は、原始生活の自然淘汰で説明するには、どう考えてもオーバースペックだと常々感じていた。

感情の複雑性にはいろいろと進化生物学的な説明がつきそうだが、ロケットを飛ばす科学技術を開発するようなレベルの論理的思考力や計算能力を、自然淘汰で説明することには、直観的に無理があるように思うのだ。
数学力や論理力は、現代社会でこそ、配偶者の獲得に多少の影響を与えそうだが、人類の歴史を通じてそのような思考力が子孫を残すことに趨勢的な好影響を及ぼし続けてきたとは思えないし、ギリシャや中国では、何千年も前に既に、この先史時代には使わなかったはずの思考力を備えた偉人がたくさんいたのだ。或いは例えば、アボリジニーの人でも、現代社会に連れて来ればそれに適応して、技術者や物理学者になる素質が生得的に備わっているのだという。教育さえ受ければ、原始生活では明らかに何の役にも立たない数学や論理を駆使することができるという潜在能力が、ヒトという生物の全ての健常な個体に生得的に備わっているというのは、考えてみれば驚くべきことである。人類はいったいなぜこんな(一見すると)無用の長物を発達させたのか。

チョムスキーはこの疑問に対して、「数機能」は「言語機能」の副産物ではないかという仮説を提示する。言語と数。一見全く異なるように見える二つの機能は、離散無限性という共通項を持つ(数は無限に足し合わせて行けるし、文章も無限に語句を足したり論理構造を重ねることができる)。人間と類人猿を分かつ大きな違いは、(無限離散性という概念の理解を含む)計算能力の有無であり、その違いが言語能力の違いを決めるのだという。そのような数機能がどのようにして獲得されたのかは解明されていないが、チョムスキーはランダムな突然変異と自然淘汰によって全ての進化が説明できるという立場に懐疑的なようである。

ともあれ、人間の脳には、「数機能」と「言語機能」が普遍的に備わっている。だから子供は、日常生活における断片的・散発的な会話を聞くだけで、極めて短期間の間に言語を理解し・話すことができるのだという。そして人間が話す様々な言語は全て、人間が生得的に備えた普遍的な言語機能にそった共通の文法にしたがって発生しているはずである、というのが生成文法理論の仮説である。


本書に収録されたインタビューの中でチョムスキーが自信溢れる口調で語る様々な考察は、知的刺激に満ちている。チョムスキーを知ったのは彼の政治批判が先で(特にブッシュ政権時代のアメリカ政府を厳しく批判していた)、感情に走りすぎたきらいがあってあまり感心しなかったが、専門の言語学やそれと関連する諸分野においては、彼は人間の知のフロンティアを前進させた真の学者なのだろう。
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