2017/06/22

【読書】 Sapiens(サピエンス全史) Yuval Noah Harari ③







第四部::科学革命(The Scientific Revolution)

・世界はこの500年くらいで、急速に、劇的に変わった。その変化をもたらしたのが科学革命である。

・4部の幕開けとなる14章のタイトルは、「無知の発見」。古代から中世の社会では、宗教が世界の中心にあり、「過去の聖人は全てを見通していた(人類はそこから堕落した)」「大事なことは全て聖典に書いてある(神の預言にないことは重要ではない)」という認識がベースにあった。為政者は、新しい理論を発見したり自然の謎を解明するための研究に、貴重な資源をわざわざ投入しようなどという発想を、持たなかった(そんなことに金を遣うくらいなら立派な宮殿を建てた)のであり、そこから新たな技術は生れようがなかった。

・それに対し、大航海時代に未知の大陸に直面したヨーロッパ人は、史上初めて、人類が無知であることを明確に自覚し、新たな知識の収集に異常な程の意欲を持って取り組み出した。(14章)

古代においても、数学・天文学・建築学・医学などの科学が発展しており、ハラリの整理はやや乱暴な気もするが、中世で神学が学問の中心を占め、科学探究心を欠いていたことは事実だろう。


・科学の発展は、帝国主義の拡大と不可分に結びついていた。オーストラリア等を「発見」したキャプテンクックの船団は、壊血病の予防にビタミンCが有効であることを発見して科学の発展に寄与する一方で、多数の銃火器を搭載して先住民を追い立て、British Empireの拡大をもたらした。ダーウィンをガラパゴス諸島に連れて行って進化論に道を開いたのも、イギリス海軍の軍艦である。

・しかしこの頃(1770年頃)、欧州がアジアと比べて技術的に優位に立っていたわけではない。1775年にはアジア(オスマン帝国、サファヴィー朝ペルシャ、ムガル帝国、明など)は「世界経済の8割」を占め、欧州は未だ辺境に過ぎなかったとハラリは言う。にもかかわらず、なぜ欧州帝国主義が世界を席捲したのか。大航海時代の欧州以前にも、明の鄭和は15世紀初頭に7次に渡る航海でアフリカまで遠征した例があり(しかもその艦隊はコロンブスの船団よりも遥かに巨大だった)、少なくとも技術的には遠洋航海は十分可能だった。

・19世紀から急速に西欧が世界の他の地域を凌駕した「大分岐」(The Great Divergence)。その謎には、これまでにも様々な説明が試みられてきたが、ハラリの回答は、要約すると「1850年までの数世紀に亘って、西欧にのみ科学的精神と資本主義の精神が深く根付いたため」であり、さらに言い換えると、「無知の自覚を出発点に、投資によって今日よりも明日をよくできるという人間の力への信頼(信仰)があったため」ということになる。

・欧州の大航海とそれ以前/他の帝国の遠征との決定的な違いは、前者が自らの無知を知り、異世界を探索することを目的としたこと、そしてそのために実際に多数の科学者を帯同したことにある。(それまでの遠征は基本的に、帝国の威信を辺境の知に知らしめに行くことを目的とし、自らが学びに行くことなど考えもしなかった。)両者の違いを端的に示すのが、遺された地図。中世の地図では分からない場所は想像で埋められていたが、むしろ大航海時代となって未開拓の場所は空白とされるようになった。

・コルテスがアステカに着いた時、アステカ人は海の向こうに自分達の知らない世界があることを理解出来なかった。その十数年後にピサロがインカ帝国を滅ぼした時、インカ人はアステカに起こった悲劇を知らなかった。

・欧州列強の帝国は、被支配地域の文化や言語を深く理解し、それまで見向きもされなかった遺跡の発掘や古文書の解読を行い、地形を測量し、動植物の生態を解明し、現地人すらも上回る深さの知識と理解を蓄えていった。その優位性は、少数の白人が圧倒的多数の現地人を支配する武器となったのみならず、白人に「無知蒙昧な原始人を啓蒙する」という使命感("White Man's Burden")を植え付け、帝国主義を道義的にも正当化して行くことになる。(15章)


資本主義を論じた16章は、お決まりの信用創造の話から始まるが、そこからの展開はなかなか独創的で面白い。

・借り手を信用出来なければ投資は起こらず、成長も無い。なぜ信用は生まれたのか。それは科学革命が有用な技術の発展を促し、人々が「経済成長(=パイの拡大)」を信じるようになったから。

・中世以前の世界は静的で、富は一定だった。経済はゼロサムゲームであり、誰かが富むことは、他の誰かの富を奪うことと同義だった。だからキリスト教を含む多くの宗教で蓄財は罪とされたし、成長無き世界でシェアの拡大のみにベットして信用を供与する貸し手は稀だった。

・近代欧州で初めてこの前提が覆り、パイの拡大が信じられるようになった。それは成長ストーリーを信じた投融資を誘発すると同時に、蓄財への罪悪感を無くし、人々を投資へと駆り立てる起爆剤となった。

・こうして富の追求に引け目を感じ無くなった欧州エリートの資本の洪水が、列強間の戦争の帰趨を左右し、アジアやアフリカを植民地化して行く。オランダがスペインに勝ち、イギリスがフランスを凌駕したのは、両者が相手よりも高い信用を維持し、資金を調達できたため。コロンブスに代表される冒険家に金を出したのも、資本家達だった。リターンを追求する資本が生み出した株式会社は、やがて軍隊を組織し、植民地経営に乗り出して行く。(16章)


・蒸気機関の発明は、初めて人類がエネルギーの変換(熱→運動)を行ったという意味で画期的。(17章)

・産業革命以降、家族やコミュニティが崩壊し、様々な機能を市場と国家が代替するようになった。(18章)


・19章は「幸福論」という少し毛色の違う話がテーマである。人々の幸福は、物質的豊かさで測れるのか、というお決まりの話から始まるが、「幸不幸は、当人の主観が決める」という考え方自体が近代個人主義に特有のものという指摘は面白い。それ以前は、幸福を定義するのは宗教だった。

・20章は、サピエンスの未来について。現代のテクノロジーは3つの分野で人間を超えた存在を生み出そうとしている ― すなわち、①遺伝子操作(病気にならない人間など)、②工学的医療(脳と直接信号をやり取りする眼や腕など)、③ロボットやAI、である。これらはいずれも、人間という生物やその立ち位置を根本的に変容しようとしている。
SFの中で優れた未来のテクノロジーを使いこなす主人公達は、私たちと変わらない人間であるのが常だ。しかし技術の進歩が生み出すのは、ホモサピエンスとは全く異なる認知能力や思考様式を備えた超人なのかもしれない。

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2017/06/21

【読書】 Sapiens(サピエンス全史) Yuval Noah Harari ②



第三部:世界の統一(The Unification of Humankind)

・歴史を巨視的に見れば、世界は間違いなく統一に向かっている。幾多の民族や言語が滅亡する一方、世界は一つに繋がり、(言語や文化は違えど)様々な知識や尺度を共通の前提として共有するようになっている。膨大な数の人々を統合するには、共通の神話を信ずることが必要である。そして歴史上、人類の統合にとりわけ大きな役割を果たした「神話」が、「通貨」「帝国」「宗教」である。(9章)

・貨幣は、大した使い道が無いものの価値をみんなが信じるから価値が出る、という話。(10章)

・「帝国」や「帝国主義」には負のイメージが強いが、文明の発展と人類の統合を推し進めたのは、間違いなく帝国である。歴史において繰り返された「帝国」のパターンは、帝国が拡大するとともに辺境の異文化を組み込んでいく。最初は意に反して服従させられた異民族も、世代を下ると帝国に同化し、その文化や思考様式に馴染んでくる。そして異民族は、慣れ親しんだ帝国の論理に依拠して、帝国民としての地位の平等を求めて反乱を起こす。こうして支配民族はその圧倒的地位を失うが、帝国が根付かせた文化や社会様式はむしろ繁栄していく(11章)


宗教を論じた12章は第三部のクライマックスであり、興味深い。

・まずハラリは、宗教の定義として二つの条件を提示する。
1 人類の意図や合意を超えた超人間的な力の存在を信ずること
2 人々の行動を律する規範的な要素を含むこと

・狩猟採集時代にもアミニズムとしての原始宗教は存在したが、農業革命後の宗教は、豊作をもたらすための人間と神との約束としての色彩を強める。神々との約束は、その土地の環境に依存した特殊なものであった(日照りに悩まされる地域と、水害に悩まされる地域とでは、神との契約の内容も違ってくるという話)。やがて多くの文化を包摂する帝国が現れると、それらを矛盾なく取り込む多神教(ギリシャ神話のような)が発展してくる一方で、「神と契約できるのは人間だけ
という構図は人間を他の生物を超越した高い地位に押し上げることになる。

・ハラリはここで、「神との契約」という観点から、一神教と多神教の関係を論ずる。(多神教的世界観によれば)全知全能の神のような存在は、不偏であるはずで、その神と特定の人間集団が個別に契約を結んでその排他的な庇護を受けることは、元来無理がある。だから人々が契約を結べるのは、たくさんいる不完全な神々のうちの一人(または何人か)である(ヒンドゥー教で言えばGaneshaやLakshmiのような)。

・こうした世界観を持つ多神教は、本質的に寛容である。ローマ帝国はキリストを否定したわけではなかった。キリスト教徒が迫害されたのは、彼らがキリスト教を捨てなかったからではなく、ローマの神々への崇拝を拒否したからである。

・一神教自体はキリスト教以前にも存在したが、ユダヤ教のようなローカルな宗教に留まる限りにおいて、影響は限定的だった。しかしキリスト教は、「全人類の救済ために犠牲となったキリストの教えを万人に届けるべきだ」というユニバーサルな教義を構築し、積極的な布教活動に邁進したという意味で、極めて画期的だった。そのモデルはイスラム教に引き継がれ、今日では東アジアを除くほとんどの地域では一神教が支配的である。

・他方で、神の存在自体に関心を払わない宗教も存在する(仏教、ジャイナ教、道教、儒教など)。これらが共通して重視するのは、神の意志ではなく、自然の摂理である、とハラリは説く。仏教の本質は、あらゆる煩悩から解放されて悟りの境地に達することにあり、神との約束を果たすことによる救済を願う一神教・多神教とは本質的に異なる。ハラリは仏教の起源と考え方についてかなりの紙幅を割いて丁寧に説明しているが、それは「神のいない宗教」という多くの欧米人に馴染のない概念を理解させることで、次に彼が展開する話への橋渡しの役を果たしている。

・彼は続けて、キリスト教や仏教と同様に、例えば「社会主義」のような社会思想も「宗教」である、と主張する。そこで冒頭の二要件に立ち返る。確かに社会主義は、①資本主義から社会主義への移行は人間の意志を超えた歴史の必然であると主張し、②集団生産に資するための多くの規範を主張した。その後ハラリは、社会進化論からナチスの優生学が生まれていった経緯へと話を展開させていく。

この社会思想(イデオロギー)と宗教との境界が実はグレーだという指摘自体は以前議論したことがあったが、「神のいない宗教」という仲介を経て整理してみると、なかなか説得力がある。現代においてある社会思想を推進する人は、客観的な根拠とエビデンスによって自説を強化するのが常であり、その思想があたかも主観的な信仰であるかのように「宗教」と呼ばれることは不本意であろう。ハラリの透徹した眼差しは、「そうした思い込みを相対化してみるべきではないか。あのナチスの優生学ですら、科学的根拠と学術的理論に支えられていたのだ」と訴えている。

非寛容な宗教(キリスト教、イスラム教、社会主義)は、人々を統合する一方で、多数の争いと悲惨な流血をもたらした。私見によれば、宗教とは人智を超えた存在を人間が解釈する営みである。神の意志なるものが存在するとして、それはまさに人間の理解を超えているはずである。だから、ある解釈を信ずるのは個人の自由だが、神の意思を自分(の信ずる宗派や預言者)のみが完璧に正しく理解し、他はすべからく間違っていると思いこむのは人間にあるまじき不遜な精神態度だと思うのだが、敬虔な信者にとってはそういうものでもないのだろうな。

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2017/06/20

【読書】 Sapiens(サピエンス全史) Yuval Noah Harari ①



著者は『銃・病原菌・鉄』に影響を受けたという歴史学者。人類史という壮大な物語を、鋭い切り口と軽妙な筆致で解き明かした書である。あらゆるものを相対化する著者の自由な視座には、イスラエル人でありながら仏教的な瞑想を実践し、ゲイであり、ヴィーガンでもあるという彼の多様なバックグラウンドも一役買っているのだろう。著者はそうした見られ方(ステレオタイプから外れている、というステレオタイプ)を好まないのだろうが。


第一部:認知革命(Cognitive Revolution)

・まず人類は如何にして、単なる猿の一亜種から、地球の生態系史上例を見ない圧倒的な地位を占めるに至ったのか。

・人類の勃興期、地球上にはホモサピエンス以外にも複数の「人類」が存在した。例えばネアンデルタール人は、現代人よりも大きな脳を持ち、火を操る術も知っていた。

・にも関わらず、ホモサピエンスはネアンデルタール人を含む他の人類を圧倒し、これらを絶滅に追いやったのである(直接的に殺戮したにせよ、縄張りの収奪によって間接的に死に追いやったにせよ)

・ハラリによれば、ホモサピエンスと他の人類の最大の違いは、共通の神話を信ずる力であり、それこそが「認知革命」の成果である。共通の神話を信じたサピエンスには、それまでにない規模での集団行動が可能になり、数の力でネアンデルタール人等を圧倒したのである
ネアンデルタール人も死者の埋葬は行っていたので、「神話的なもの」を全く持っていなかったわけではなさそうだが、この点は特に説明されていない。

・もう一つの大きな効果は、神話は常に書き換え可能だったということである。環境変化等によってある神話が生存に適さなくなったとき、別の神話がこれに取って代わり、これを信じたグループが繁栄することで、サピエンスは不断の「進化」を遂げることができた。その進化の速度はあまりにも速く、遺伝子の突然変異を待たなければならない他の生物は、これに付いていくことができなかった

・こうして圧倒的なスピードで生態系の頂点に駆け上がったサピエンスは、地球上に多くの爪痕を残すことになる。人類が地球環境に甚大な影響を与えるようになったのは、いつからだろう?産業革命以降の環境破壊が最初ではない。農業革命期でもない。既に狩猟採集時代に、生態系の頂点に立った人類は、多数の大型哺乳類をはじめとする夥しい数の生物を絶滅に追いやったと推定される。明確な物証は乏しいが、人類がオセアニアやアメリカ大陸、大洋中の離島に到達した時期と、これらの地域で多数の生物が絶滅した時期が驚くほど一致するという多数の状況証拠を挙げ、絶滅の犯人はホモサピエンスと考えざるを得ないとハラリは主張する。


第二部:農業革命(Agricultural Revolution)

・History’s Biggest Fraud(史上最大の詐欺)と題された第5章は、本書でもっともエキサイティングな章の一つだろう。

・人類は常に進化してきたと思っている私たちは、農業革命に以下のようなイメージを抱きがちだ ― 農耕によって人類は、明日をも知れぬ狩りを続けながら木の実をほじくる生活から解放され、肥沃な土地に定住して豊かな生活(少なくとも狩猟採集よりはずっとマシなそれ)を謳歌したと。だがこれが詐欺だとハラリは指摘する。

・農耕によって労働時間は増加し※、開墾や水やり等の重労働で人類は足腰を痛め、食生活が少数の穀物に偏ったことで栄養状態が悪化し、家畜は様々な伝染病をもたらし、(単一/少数の作物に依存しているが故に)飢饉に見舞われることも増えた。結局、狩猟採集時代に比べて、人類の体躯は小さく、寿命は短くなった。農耕によって、人々のQOLはむしろ大幅に低下したのである。(人類は何十万年・何百万年かけて、狩猟採集を行う雑食生物へと進化してきた。単一の穀物ばかりを食べて単純農作業を繰り返すようにはできていないのだ)
※今日カラハリ砂漠で狩猟採集生活を送るは人々の労働時間は週35~45時間程度で、現代人が独占した肥沃な土地に住んでいた古代の狩猟採集民族の労働時間はもっと少なかったはずと、ハラリは推定する

・確かによく知られるように、農業革命によって人口は増えた。しかしそれは、人々が豊かになったからではなく、定住によって子作りが容易になり出生数が激増したからだという。人口増加によって、一人当たりの栄養は減少し、穀物依存と乳離れの早期化は、むしろ乳児死亡率を高めたが、それを上回るペースで出生数が増えたのである。

・進化の過程を生き残るのは、結局のところ、高いQOLを謳歌した者ではなく、遺伝子のコピーをたくさん残した者である。だから、QOLの低い農耕民族が世界を席巻したのだと、ハラリは言う。

・視点を変えて、小麦の遺伝子の立場に立って見れば、人類は彼らの圧倒的繁栄のために働く奴隷である。人類が穀物を飼いならした(domesticate)のではなく、穀物が人類を飼いならしたのだ(domesticateはラテン語のdomus = 家から来ている。家に住まわされるように仕向けられたのは、小麦ではなく人類である)。

・それは決して、古代の人々が意図した結果ではなかった。狩猟採集の生活に、少しだけ多くの小麦が加えれば、生活はこれまでよりいくらか豊かになるはずだった。最初は、一時的なキャンプ地の周辺に、少しばかり種を撒いてみただけだった。だが、水やりや雑草取りなどの手間をかければ収穫量は増え、収穫量が増えるにつれて人々は小麦に依存するようになる。気が付いた時には、定住して子供が増え、狩猟採集生活に必要な膨大な自然の知識は失われ、最早戻れなくなっていた。それは、人類が繰り返してきた歴史の常でもある(携帯電話やEメールは通信の手間と時間を劇的に減らすはずだったが、人々の生活は楽になっただろうか?)

これに続く3章は、さほど切れ味が鋭くない(最後の男女格差の議論は面白いが)。

・農耕によって人類は、(作物の豊作・不作を左右する)環境の未来をより気にするようになり、かつ環境に多少なりとも影響を与えられるようになった。治水等には莫大な人員の動員必要となり、これを可能にしたのが神話による結び付きである(6章)

・農耕により社会が拡大すると、収穫量や徴税を記録するためのdescriptive deviceが発達した。(7章)

・更に農耕は社会階層を生み出し、後につながる様々な格差の萌芽が生まれていった。あらゆる格差は、当初は歴史の偶然の産物だが、機会の格差は結果としての能力の格差を生み、格差を再生産して社会を固定化して行く。

・唯一の例外が、男女間の格差である。古今東西、なぜ男が優越する社会が世界に共通して見られたのか。その理由は「分からない」とハラリは言う。一つの進化論的仮説は、女性は出産前後に保護を必要とするため、従属的な性質を獲得した(挑戦的な女性は、進化の過程を生き残れなかった)というものである。しかし助けを必要とするからといって、男を頼る必要はない。ゾウのように、メス同士で群れを作って助け合う動物はたくさんいる。なぜ女同士が助け合い、身勝手で暴力的な男たちを排除するような社会を、人類は作らなかったのか。答えは未だ見つからない。(以上、8章)

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