2013/04/09

【読書】 生成文法の企て ノーム・チョムスキー




人間の脳は、原始生活の自然淘汰で説明するには、どう考えてもオーバースペックだと常々感じていた。

感情の複雑性にはいろいろと進化生物学的な説明がつきそうだが、ロケットを飛ばす科学技術を開発するようなレベルの論理的思考力や計算能力を、自然淘汰で説明することには、直観的に無理があるように思うのだ。
数学力や論理力は、現代社会でこそ、配偶者の獲得に多少の影響を与えそうだが、人類の歴史を通じてそのような思考力が子孫を残すことに趨勢的な好影響を及ぼし続けてきたとは思えないし、ギリシャや中国では、何千年も前に既に、この先史時代には使わなかったはずの思考力を備えた偉人がたくさんいたのだ。或いは例えば、アボリジニーの人でも、現代社会に連れて来ればそれに適応して、技術者や物理学者になる素質が生得的に備わっているのだという。教育さえ受ければ、原始生活では明らかに何の役にも立たない数学や論理を駆使することができるという潜在能力が、ヒトという生物の全ての健常な個体に生得的に備わっているというのは、考えてみれば驚くべきことである。人類はいったいなぜこんな(一見すると)無用の長物を発達させたのか。

チョムスキーはこの疑問に対して、「数機能」は「言語機能」の副産物ではないかという仮説を提示する。言語と数。一見全く異なるように見える二つの機能は、離散無限性という共通項を持つ(数は無限に足し合わせて行けるし、文章も無限に語句を足したり論理構造を重ねることができる)。人間と類人猿を分かつ大きな違いは、(無限離散性という概念の理解を含む)計算能力の有無であり、その違いが言語能力の違いを決めるのだという。そのような数機能がどのようにして獲得されたのかは解明されていないが、チョムスキーはランダムな突然変異と自然淘汰によって全ての進化が説明できるという立場に懐疑的なようである。

ともあれ、人間の脳には、「数機能」と「言語機能」が普遍的に備わっている。だから子供は、日常生活における断片的・散発的な会話を聞くだけで、極めて短期間の間に言語を理解し・話すことができるのだという。そして人間が話す様々な言語は全て、人間が生得的に備えた普遍的な言語機能にそった共通の文法にしたがって発生しているはずである、というのが生成文法理論の仮説である。


本書に収録されたインタビューの中でチョムスキーが自信溢れる口調で語る様々な考察は、知的刺激に満ちている。チョムスキーを知ったのは彼の政治批判が先で(特にブッシュ政権時代のアメリカ政府を厳しく批判していた)、感情に走りすぎたきらいがあってあまり感心しなかったが、専門の言語学やそれと関連する諸分野においては、彼は人間の知のフロンティアを前進させた真の学者なのだろう。
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