2014/06/19

【読書】 新書アフリカ史 宮本正興+松田素二 編



先日ケニアのラム島付近でまたもアルシャバーブによるテロがあり、50名弱が殺害された。モンバサなど、エキゾチックなビーチリゾートとして人気を集めていたケニアのインド洋沿岸部は、テロの影響で観光客が既に激減しているようだが、今後も更に影響を受けそうだ。

モンバサ、マリンディ、ラム、それにソマリアのモガディシュなどは、いずれも古くから交易で栄えた海港都市だった。インド洋では、4月から9月にアフリカからインド・アラビア方面に向けて強い季節風が吹き、11月から3月は逆の風が吹く。この偏西風に乗って、10世紀頃にはアラブの商人がアフリカ東岸と活発な公益を行なっていた。アフリカからは象牙やサイの角、亀の甲羅、金、材木、スパイスなどの原材料、それに奴隷が輸出され、逆に北からは武器やガラス製品、葡萄酒などの製品が輸入された。
14世紀にモガディシュを訪れたイブン・バットゥータは、現在のソマリアの首都モガディシュを「大きな町でその住民は商人でたくさんのラクダをもっている」と記したとのこと。そのモガディシュは、長年の内戦で荒廃してしまった。戦闘で廃墟と化したモガディシュの街並みは、米軍とイスラム武装勢力との戦闘を描いた映画ブラックホーク・ダウンで伺い知ることができる。

東アフリカの沿岸部は、大航海時代以降ますます、特にスエズ運河が開通するまで、東西交易に重要な役割を果たした。最初にこの地を支配したのはポルトガル人で、1593年からモンバサにフォートジーザスを築き、東のマラッカ(1511年に占領)やマカオ(1556年開港)と繋いでインド洋貿易を席巻した。やがてポルトガルが衰退すると、なぜか東アフリカにはあまり進出しなかったオランダに代わってこの地を支配したのはオマーン。ザンジバルやモンバサのポルトガル人施設を度々襲撃し、1698年にはついにフォートジーザスを陥落させた。もともとペルシア湾を拠点にしていたオマーンだが、イギリスの勢力が拡大すると、モンバサやザンジバルに拠点を移して東アフリカ交易に活路を見出すようになっていった。この海港諸都市でアフリカとイスラムの文化・言語が交ざり合うことにより、スワヒリ語とスワヒリ文化が生まれ、それは今、東アフリカの多くの国での共通語となっている。

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スリランカ、コロンボから臨むインド洋
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