2015/03/05

【読書】 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?--数千年に一度の経済と歴史の話  松村 嘉浩



私たちは現在、それまでの数百年と質的に異なる重大な環境変化を経験している。即ち、
・過去数世紀の間爆発的に増加してきた人口が、一部の先進国から順に減少に転じつつある
・全ての経済圏がグローバル経済に組み込まれ、地球上からフロンティアが消滅しつつある
・情報化により、人間の知的労働がコンピュータに代替されて消滅している

3点目がどれほど決定的な変化をもたらすかは見方が分かれるところだろうが、最初の2点により経済成長が限界に達していることは明らかである。過去数百年のような高い成長はもはや不可能であり、成長を前提としない社会構造や価値観に転換する必要がある。

ここまでは多くの人が「その通り」とうなずくところかもしれないが、実際には転換が進まない。ほとんどの人はその変化を「他人事」と捉えており、自分自身に変化が求められるとは思っていないからだ。

本書では、年金を求める普通のおじいさん・おばあさんが「既得権益者」であり、リーマンショックの元凶(遠因)であると正しく断ずる。いたって真っ当なこの指摘は、しかし多くの人にとってはショッキングかもしれない。
2007-08年に金融危機が発生したのは、端的に言えば「金融業界が過大なリスクを取ったため」というのが供給側に着目した説明であるが、需要側に着目すると、低成長経済に見合わない過大なリターンを求めた年金基金等の機関投資家の存在があり、その背後には、これまでと同じ予定利回りで計算された年金給付を求める受給者がいた。


ここからは私見だが、「60過ぎたら定年退職し、あとは豊かな年金暮らし」などという人生は、子供を4人も5人も育てた世代にのみ許された贅沢であり、「人口ボーナス」が存在した特異な状況下でのみ成立し得た文字通りの「ボーナス」だった。

4人の子供を育てた世代(団塊世代の親世代)と、子供を2人しか育てなかった世代(団塊世代)とで、年金の払い手の比率は半分になり、しかも余命は延びているのに、同じ水準の年金がもらえるわけがないのだが、多くの人はそうは考えない。政府が、日銀が、大企業が、何とかしてくれると考え、更には今の現役世代が自分が若かった頃の倍の保険料を払っても、自分の年金だけは守られて当然と思ってしまう。

本人たちに悪気はない。既得権とは元来、そういうものである。開業医も農協も労組も、自分を「既得権者」などとは考えたこともないだろう。ただ、これまであったものは正しいものだと強固に信じて、本人の主観のうえではいたって正当な、あるべき社会制度や最低限の権利を守ろうとしているだけなのだ。だから譲らない。だから変えられない。

社会保障給付という史上最大級の既得権の根源には、「真面目に生きてさえいれば、自分は何も考えなくても、それなりの生活が誰か(政府や企業)から与えられて当然だ」という、主体性を放棄した甘えがある。虚心坦懐に見つめれば、(経済的に困窮しているわけでもないのに)自分が払った以上の給付を他人の負担で受けようなどという助平根性は、自ら戒めなければならないと分かるはずなのだが、それを当然の権利と主張するこの思い込みは、実に抜き難い。著者は希望を持っているようだが、個人的には日本は財政的に行き詰まるまで変われないと思う。


なお巻末の補論には、以前ここでも書いたことと類似の視点からの金融政策に関する解説が入っており、非常に分かりやすい。



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