2015/07/04

【読書】 憲法で読むアメリカ史(全) 阿川尚之




分かったようでよく分からないアメリカという連邦国家は、その成り立ちからして日本と全然違うが、そこに端を発して法や国家というものに対する意識がずいぶんと違う。

239年前の今日、1776年7月4日に発せられた独立宣言は、13のstateの共同声明(The unanimous Declaration of the thirteen united States of America)であって、この時アメリカは13州のゆるい連合体でしかなかった。その後1983年のパリ条約でようやくイギリスは独立を追認したが、その第一条でイギリスが承認したのも、下記の通り、それぞれが自由で独立した主権を持つstateの集合体である。

The Definitive Treaty of Peace 1783
Article 1:
His Brittanic Majesty acknowledges the said United States, viz., New Hampshire, Massachusetts Bay, Rhode Island and Providence Plantations, Connecticut, New York, New Jersey, Pennsylvania, Maryland, Virginia, North Carolina, South Carolina and Georgia, to be free sovereign and independent states, that he treats with them as such, and for himself, his heirs, and successors, relinquishes all claims to the government, propriety, and territorial rights of the same and every part thereof.
http://avalon.law.yale.edu/18th_century/paris.asp



一応1781年に、13州の足並みを揃えるために連合規約が制定されて連合議会が発足していたが、その権限は弱かった。そこで1787年にようやく合衆国憲法が起草されたが、それを各州が批准すべきかをめぐって大論争が巻き起こった。 

もっとも根本的な反対理由は、独立革命によって各植民地の人々がようやく獲得した民主的な共和政体が、連邦政府の樹立によって失われるのではないかという恐れである。イギリスとの独立戦争を勝ち抜いて、国王や貴族の圧制から自由になった。その結果、自分たちで政治を行い、自らの運命を決定できるようになった。(中略)それなのになぜ再び連邦政府を創設して、遠くにいる顔も知らない少数の人々に自分たちの運命をゆだねるのか。連邦政府ややがて肥大し、人々の自由を圧迫するであろう。各州の独立は失われるであろう。そのような危険を冒してまで、どうして中央政府を樹立せねばならないのか。(p36)



こうした反対意見に対して憲法を擁護した反論が、歴史に名高い名著『フェデラリスト』である。

その後、南北戦争、大恐慌から第二次大戦という二つの危機を契機として、それぞれリンカーン、ローズヴェルトという強いリーダーシップを発揮した大統領の下で、連邦政府の権限は大幅に拡大した。しかしその過程では、たとえば「奴隷に自由を与える連邦法は、憲法で保障され、州法で認められた財産権(奴隷に対する所有権)を侵害して違憲ではないか」、「大恐慌下で制定された、競争制限的な連邦規約は、憲法で定められた連邦政府の権限を超えているのではないか」といった争点をめぐって、州と連邦の権限に関する激しい思想的な対立が起こった。
時に連邦裁判所の判決は政府によって公然と無視され、裁判所の権威は大いに傷つけられたが、その中で妥当な落とし所を常に模索し、発展してきたのが、アメリカの司法なのである。


より上位・より広範囲の権威にみんなが従うことで全体の秩序を保つことを当然のように重視する傾向が強い日本人の感覚からすると、アメリカが時々のぞかせる国連軽視・自国優先の態度はとんでもなく傍若無人なように感じられるが、州と連邦との関係が常に相対的で時に緊張を孕むものだったこの国の歴史と伝統に照らせば、国連やICJ(国際司法裁判所)の方針に自国の利害を優先することは、主権国家が状況次第では当然選び得る手段として、何ら違和感を持たないところなのかもしれない。

日本人は、一方では制文法を絶対的なものとして非常に重視し、他方で誰も守らずに違反が横行している法(スピード違反や個人情報保護法など)をたくさん作るという、考えてみれば不思議な人々である。この二つは一見矛盾するようだが、誰も守れない法律を作って役人の裁量で処罰するという裁量行政が広く受け入れられて機能するのは、法律の文言を絶対視する根底意識があるからなのだろう。


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