2017/03/28

稀勢の里の「土俵際に賭けた」は周到な作戦

手負いの稀勢の里による逆転優勝は、多くの日本人の心を揺さぶった。本割の立ち合いで変化された照ノ富士は、自身も膝の古傷を抱える中で、14日目の琴奨菊戦で変化したことを責められたこともあって、心中複雑なようだが(「見えるつらさと見えないつらさ」というコメントに、それがにじんでいる)。

本割の変化は作戦だが、優勝決定戦は流れの中でとっさに出た奇跡の逆転、と解釈されているが、実は決定戦にこそ、乾坤一擲の作戦が隠されていたのではないかという気がする。彼はインタビューで「土俵際に賭けた」と語った。それは、初めから土俵際に賭けていた、と言っているように、私には聞こえた。

左が使えない稀勢の里が、寄り切りや押し出しで勝つことはあり得ない。勝つためには、右手で投げを打つしかない。問題は、いかにしてその態勢に持ち込むかだ。

一つは解説で舞の海氏が言っていたように、右に変わって上手を取り、周りながら振り回す。日馬富士がよくやるような立ち合いだ。これは本割のメインシナリオだったと思うが、立ち合いが不成立になって目論見が崩れた。仕切り直しになることも念頭になかったわけではないと思うが、左に変わった後、流れの中で右突き落としが決まったのは、ほとんどまぐれなのではないかと思う。

しかしとにかく勝利をもぎ取り、優勝決定戦に持ち込んだ。次は同じ手は使えない。そこでもう一つの作戦に出た。それが、敢えて相手を懐に入らせ、その出足を利用して引きながら小手投げを打つというものだったのではないか。豪栄道なら首投げを打つところだろうが、稀勢の里は小手投げだった。

更に想像をたくましくしてみると、実は前日、簡単に両差しを許して寄り切られた鶴竜戦でも、同じ作戦を描いていたのではなかろうか。しかしまともに引っ張り込み過ぎて、あっさり寄り切られてしまった。
そこで照ノ富士との決定戦では、右手で相手の胸を突いて出足を止めるアレンジを加えた。これが当たった。

イチかバチかのこの作戦が成功する可能性も相当低かったとは思うが、勝つとしたらこれしかなかった。手負いとは言え、13勝を挙げ、優勝に向け気合十分の照ノ富士に、無策で臨んでは勝てまい。

いろいろな感慨を与えてくれる、稀勢の里の15日間だった。

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