2009/12/29

カノッサの屈辱 ― 【読書】神聖ローマ帝国 菊池良生



 ヨーロッパの歴史は闘争の歴史である。そんなことを思い出させてくれた一冊。神聖ローマ帝国の興亡をコンパクトに描いた新書である。権謀術数渦巻くヨーロッパで皇帝、教皇、諸侯などが行き詰る政争と戦争を繰り広げる。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である(クラウゼヴィッツ)」とはよく言ったものだ。戦争は、政敵に優るために取り得るいくつかの手段の一つに過ぎない。一瞬でも気を抜くと領土を掠め取られ、下手をすれば国が消滅する危機感と常に隣合わせ。それに比べれば日本の歴史など随分と平和なものである。国際競争力の低下に目を瞑って、ひたすらバラマキと現状維持を求める呑気な国民性が生まれるのも、その平和な歴史故だろうか。

 それはさておき、「カノッサの屈辱」という世界史上の事件に、こんなドラマがあるとは知らなかった。この事件、ローマ皇帝ハインリッヒ四世がローマ教皇グレゴリウス七世に屈服した事件として有名である。屈服させられたハインリッヒには無能な皇帝というイメージが定着してしまっているように思えるが、実はこの人もなかなかしたたかな政略家だったらしい。

 そもそもの伏線は、ハインリッヒ四世の曽祖父の曽祖父、オットー大帝がドイツ諸侯(豪族たち)を抑えるのに教皇の権威を利用したところから始まっている。教皇庁は、世俗化した教会を改革すべく皇帝権力からの独立を図り、オットー大帝以来皇帝が介入していた教皇や司教の任命権(叙任権)を、奪還しようとした。これがいわゆる叙任権闘争である。
 父ハインリッヒ三世の夭折を受けて弱冠6歳で即位したハンリッヒ四世は、ドイツ諸侯に翻弄され、教皇の任命プロセスから排除されるようになる。それを裏で取り仕切った末に自ら教皇に就いた策略家、教皇グレゴリウス七世は、総仕上げとして1075年「皇帝は教皇に服従せよ」という書簡をハインリッヒに送りつける。
 しかし既に成人していたハインリッヒはこれを拒否し、逆にドイツの司教を集めてグレゴリウスの廃位を決議する。その際ハインリッヒが喧伝したグレゴリウスの女性スキャンダルの相手は、四世の父ハインリッヒ三世に弟妹を暗殺されるという因縁をもつイタリアの女傑マティルデであった。
 これに対抗してグレゴリウスは伝家の宝刀を抜く。すなわち、ハインリッヒ四世の破門である。それに乗じて諸侯がハインリッヒに反旗を翻す。追い詰められたハインリッヒは、マティルデの居城カノッサ城にいたグレゴリウスを訪ね、城門の前で跪くのである。雪の中、宿敵グレゴリウスとマティルデの眼下で、城に入れてもらえずに、ひたすら許しを請う皇帝ハインリッヒ四世。
 この一事をもって、「カノッサの屈辱」は皇帝が教皇に一方的に屈服した事件とみなされがちである。しかし皇帝はその場しのぎで跪いたに過ぎず、赦しを得た後反撃に転じ、別の教皇を立てて教皇グレゴリウス七世をローマに追い詰める。ちなみにそのときグレゴリウスが立てこもった堅牢な要塞が、このカステルサンタンジェロ。

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 グレゴリウスは篭城しながらノルマン人と連絡を取り、彼らを引き入れてハインリッヒの軍勢をローマから駆逐することに成功するが、このノルマン人がローマの街で略奪の限りを尽くしてしまう。ノルマン人という野獣を引き入れたことで民衆に見放されたグレゴリウスはローマを追われ、サレルノで客死する。一方、ローマから一旦は撤退したハインリッヒは、その後も皇帝権の回復に腐心するが、二人の息子に相次いで裏切られ、失意のうちに死去するのである。

 ここでは本書に書かれた内容を更にかなり端折っているが、本当はもっともっと凄絶なドラマがあったのだろう。やっぱり歴史は面白い。

 
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