2011/09/10

【読書】デフレの正体 藻谷浩介




不況の原因を人口動態との関係から解説してベストセラーとなった書籍である。
“「景気の波」を打ち消すほど大きい「人口の波」が、日本経済を洗っている”という観察は基本的に正しいと思うし、この(当たり前の)事実を多くのデータを持って一般の人に知らしめた意義はそれなりに大きいと思う。

しかし、著者は標準的な経済学を理解しておらず、細部を見れば支離滅裂な主張をたくさんしているため、経済学理論を重視する人から酷評されているのは残念なことである。以下にいくつか例示してみる。


まず冒頭で「世の通説を疑え」という趣旨で読者に向けられた質問は、その第一問(p26)から意味不明である。著者はシンクタンクによる『日本人の個人金融資産は、世界同時不況が始まった08年の1年間に110兆円減った』『逆資産効果で個人消費は冷え込むだろう』との予測を引用し、その論理がおかしいと指摘する。個人金融資産は円建てなら7%の減少だが、その間に円高が進んだ結果、ドルやユーロに換算すると資産価値は増えているのだから、むしろ資産効果で消費が増えてもおかしくない、という理屈である。

*注:「資産効果」とは金融資産の値上がりによって財布のひもが緩み、消費が刺激される効果を言い、「逆資産効果」はその逆に資産の値下がりで消費が冷え込む効果を言う。

しかし日本人は普段、国内で円で買い物をするのだから、なぜわざわざドルやユーロに換算した資産価値に基づいて消費行動を決めると考えるのか、まるで意味が分からない。例えば「円高によって輸入物価が下がった結果、日本国内の平均的な物価も資産価値の目減り以上に下落した、したがって実質ベースでは資産価値はむしろ上昇したのだから資産効果があるはず」、というのであれば分かる。ところが消費者物価は7%も下がっていないのだから、(これから海外に移住しようという特殊な人を除き)平均的な日本人にとっては資産の実質価値はやはり目減りしたのだ。だから逆資産効果で消費が減ると予想するのはごく自然なことである。

本書が指摘するように輸入や海外旅行は増えるかもしれないが、それは円高で外国の財・サービスが割安になるからであって、資産効果とは何の関係もない。(日本の消費者は円換算の旅行代金が安くなるから旅行に行きやすくなるのであって、「貯金額をドルに直してみたら去年より増えてる!去年よりお金持ちになった!」と言って旅行に行くような人間はいない。そもそも自分の貯金の外貨換算額を経年で把握している人などほとんどいないだろう。)


第二の問題は、経常収支に関するとらえ方である。著者は経常収支の黒字はすべからくよいことだと考えているふしがあるが、黒字それ自体は、国の経済にとってよいこととも悪いこととも言えない。好況期にも不況期にも、黒字は増え得るからである。たくさん生産してたくさん輸出する、というのが一般にイメージしやすい黒字の増加過程であろうが、国内消費が落ち込んだ結果、国内の生産が余って輸出が増えた場合にも、黒字は増える。
マクロ経済学の単純な恒等式に照らしていえば、
  Y = C + I + G + NX (Y:GDP C:消費 I:投資 G:政府支出 NX: Net Export=経常収支黒字/赤字)
で、Yが増えてNXが増えるのが好況期、CやIが減ってNXが増えるのが不況期である(Yは長期では一定という議論はここではおいておく)。

更に問題なことに、この後議論は、経常収支を国ごとに比べて、日本はスイス・フランス・イタリアに対して赤字であり、その中身は皮革製品や時計などの軽工業品やワイン・高級車などの輸入だから日本もこれに対抗せよ、と続く。ブランド力を高めよ、付加価値の高いビジネスに注力せよ、という結論自体はいいと思うが、その理屈付けが問題である。まずそもそも、お手本とされるフランスやイタリアは日本との関係だけみれば黒字だが、国全体としては経常赤字である。
著者は「日本からハイテク製品を買っていないわけではない。(中略)でも、彼らが買ってくれる日本のハイテク製品の代金よりも、日本が喜んで買っている向こうの軽工業製品の代金の方が高いので、日本が赤字になるのです」と解説するが、本当だろうか?軽工業製品にそんなに国際競争力があるというのなら、なぜフランスやイタリアはそれを世界中に売りまくって全体として経常黒字になっていないのか。

ここからは仮説であって数字で検証したわけではないが、フランスやイタリアは製造業の弱い国である。日本の強みは家電や自動車等の消費財だけでなく、電子部品や素材・工作機械等もあるので、製造業の弱い国に対しては輸出の余地が限られてしまうのではないだろうか。フランスやイタリアは、自国で作れない工業製品をどこかの国から輸入しなければならない(だから経常赤字になる)。日本からの直接の輸出はそれほど大きくないのかもしれないが、例えばアメリカやドイツ、中国から、日本の部材が使われている製品を輸入しているとしたら、日本はこれらの国を経由して間接的にフランス・イタリアに輸出しているとも言えるが、それは国際収支統計には表れてこない。そういうことまで考えたとき、日本がフランスやイタリアに対して本質的な意味で経常赤字なのかどうかは分からない。

上記は一つの仮説に過ぎないが、ポイントは、結局そういう複雑な経済の連鎖を全て捉えることは不可能なので、二国間の貿易赤字や黒字を云々することにはあまり意味が無い、ということである。本書では、ブランドバッグや高級車や時計や食品など身近な消費財ばかりを例に挙げて貿易構造が断定的に語られているが、著者は本当に数字を読んで検証したのだろうか?


第三に、生産性に関する考え方にも違和感があるが、ここはまだ整理しきれていないし、既にだいぶ長くなっているので、もう少し考えてから追記したいと思う。


そして最後に最も問題なのが、「デフレの正体」という本書のタイトルである。タイトルに「デフレ」とつけておきながら、本書がもっぱら分析しているのは(実質)経済成長率が低下する現象であって、日銀がこれだけベースマネーを大量に供給しているのになぜ物価が上がらないのか、といった貨幣的現象としてのデフレに関する考察はほぼ皆無と言ってよい。そもそも物価現象や金融を論じたいわけではなかったはずなのに、こともあろうか本の題名に「デフレ」と書いてしまったものだから、「人口が高齢化しているスウェーデンやイタリアや、人口減少を経験したロシアでデフレが起こっていない」といった批判を受けることになってしまった。「デフレ」を離れて実質経済に着目すれば、人口オーナスになれば実質経済成長率が低下するのは、広く見られる現象である。


。。といろいろ批判したが、著者自身が全国を歩き、多くのデータを独自に分析した本書は価値ある労作だと思うし、なるほど、と頷ける主張も多い。ただ、上記のようにメチャクチャな主張も山盛りなので、きちんと検証してからでないと何を信じていいやらよく分からないのが残念である(例えば本書は「高齢者はあまり消費しない」ということを当然の前提としているが、実は高齢者の消費額は高いことが指摘されている)。皮肉なことだが、「世間で言われていることを数字を確かめずに簡単に鵜呑みにするな」という著者の基本メッセージを実践し、何が正しくて何が間違っているかを自ら考える過程を通じて判断力・思考力を養ううえで、本書は格好の素材かもしれない。
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