2011/09/24

金融政策のまとめ② - 日銀は国債の代わりにケチャップを買え?

日銀がケチャップを買えばインフレになる

前回の結論は、日銀が銀行から国債を買っても、銀行が貸し出しを増やさないので市中に出回るお金が増えない、だから日銀にはデフレを直せない、ということだった。でも、そもそもなぜ日銀は国債ばかりを買うのか?ほかの手段を使ってデフレを直すことはできないのだろうか?例えば、現FRB議長のバーナンキはかつて、「日銀はケチャップを買ってでもインフレを起こせ」と言ったという、有名だが真偽不明の逸話がある。

結論を先取りすれば、それはやってできないことはないが、日銀の権限の範疇を超えるので、やるべきではないと考えられているのだ。

日銀が国債の代わりに、大量のケチャップを法外な値段で購入し続けたらどうなるだろうか?一夜にして億万長者になったケチャップ生産者と小売店がそのお金でさまざまなものを買えば、市中にどんどん現金が流れ出て、やがてインフレが起こるに違いない。


日銀が特定の物を買うことの問題

しかしインフレが起こるということは通貨の価値が下がることであり、それは全国民(正確には円建て資産を持つ全ての人)の負担である。したがって、ケチャップを買ってインフレを起こす政策は、全国民の負担でケチャップ生産者を不当に利することになる。日銀による買い占めで、少なくとも一時的にはスーパーからケチャップが姿を消し、庶民の生活にも影響が出るだろう。また、世の中にたくさんのケチャップ長者が生まれれば、ケチャップ生産への新規参入が雨後のタケノコのように発生して、世の中で必要な量を超えて過剰にケチャップが生産されてしまうかもしれない。
ケチャップは単なる比喩だが、このように日銀が何か特定のものをピックアップして購入すると、市場を歪めることになってしまうのだ。

実際、日銀はケチャップこそ買わなかったものの、1990年代後半以降は国債だけではなく銀行が保有する株式やABS(資産担保証券)などを購入してきた。
前回書いたように、日銀が国債を買っても銀行が貸し出しを増やさないのは、国債の金利がゼロに近く、銀行にとっては国債が現金に入れ替わる前と後で、状態が本質的に変わらないからである。ならば、銀行にとってもっと収益性の高い資産を日銀が買えば、銀行は入ってきた現金を貸し出しや他の金融商品の購入にまわす可能性がある。そこで日銀は、銀行にとって国債よりも収益性の高い、株式やABSを買い取ったのである。

しかしこのオペレーションには二つの大きな問題がある。1つは、リターンの高い商品は当然ながらリスクも高いということである。日銀があまり大きなリスク資産を抱えるには限界がある。

もう1つは、先ほどケチャップの比喩で述べたことに共通する問題である。日銀が特定の資産を買うということは、国の資源配分に影響を与えることになる。特定の会社、たとえばソニーの株を買えば、ソニーの株価は本来市場でつくはずの値段よりも高いものになる可能性が高い。それでインフレが起これば、全国民のちょっとずつの負担でソニーの株主を利することになるし、ソニーの価値が高いという誤ったシグナルを発信して、市場の資源配分を歪めることになる。

例えばソニーは値上がりした株価で増資をして、本来できなかったはずの設備投資をするかもしれない。それによって、ソニーに対抗しようとしていたベンチャー企業の芽が摘まれてしまうかもしれない。あるいはソニーのイメージが上がって、本来なら東芝製品を買っていた人がソニー製品を買ったり、トヨタに就職するはずだった人がソニーに就職するかもしれない。こうした市場における資源配分の変更をもたらし得る介入を、日銀は極力すべきではない。

なぜ日銀は国債ばかりを買うのかと言えば、それは全国民にとって基本的に中立的な影響を持つからである。
もちろん、政府が国債を発行して得たお金で何をするかによって、得する人も損する人も出てくるし、世代間の公平性の問題はある。しかし政府の予算配分は民主的な政治過程を経て決められることに一応なっているので、いろいろ問題はあるにせよ、そこには正統性があると言える。政府が大量にケチャップを買うとしても、それが選挙で国民に承認された政策なのであれば、少なくとも手続き的な問題はない。
それが、日銀という民主的コントロールに服さない独立機関が、恣意的に国債以外の資産をピックアップして買うこととの、決定的な違いなのである。

日銀が国債以外の様々な資産を買い漁る政策は、中央銀行の「金融政策」の範疇を超えて、政府の決定や国会の承認が必要な「財政政策」になってしまうのである。


日銀が文字通りお金をばら撒いたら?

これまで日銀は何かを買うことで市場にお金を供給するという前提で話を進めてきたが、そもそもなぜ何かを「買う」ことしかできないかというと、これもこの資源配分への介入という問題があるからだ。

たとえば銀行に、国債の代金としてではなく無償で現金を上げれば、銀行は貸し出しや配当や従業員の給与を増やしたりして、市中にお金が流れる可能性は高い。しかし、なぜその過程で銀行を優遇していいのか?少なくともそれは日銀が決めてよい範囲のことではない。

あるいは日銀がヘリコプターで空からお金をバラ撒いたり、宝くじの当選者100万人に1億円ずつ配ったりすれば、インフレを起こすことは可能だろう。しかしお金を受け取った人は受け取らなかった人より得する以上、その配り方を日銀が勝手に決めてよいはずがない。全国民に同じ金額を配るとしても、それが公正な配分であることが自明ではない以上、問題は同じである。お金を配る政策が様々な論争を呼び、政治的決定が不可欠であることは、定額給付金や子供手当てを巡る論争を例に出すまでもなく、明らかである。


結局、誰かにお金を配るには民主的政治過程を経た政府と国会の決定が不可欠なのである。では政府が配り方を決めてバンバン支出を増やすから、そのお金を日銀にドンドン刷らせればデフレを脱却できるのではないか。このようにして、国債の日銀引き受けという議論が出てくる。
例えば、政府が日銀に国債を引き受けさせて全国民に100万円ずつ配ったらどうなるか。おそらくデフレは脱却できるだろう。これはやってみる価値のある政策だろうか?

(続く)

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