2011/11/23

【読書】 原発・正力・CIA ― 機密文書で読む昭和裏面史 有馬哲夫




ソフトバンクを日本一に導いた秋山監督が正力松太郎賞に選ばれた。
賞にその名を残す正力松太郎は、日本のプロ野球創設に尽力した功績から「プロ野球の父」と呼ばれるが、それと並んで「テレビ放送の父」「原子力発電の父」とも呼ばれる。本書は、そんな正力と日本の原子力発電の夜明けを辿った本である。

もともと警察官僚だった正力は、虎ノ門事件*の責任を取らされる形で官僚としてのキャリアを断たれた後、借金をして讀賣新聞を買収してメディアに進出する。さらに正力はテレビ放送と通信を一手に握って全国のみならずアジアにまでネットワークを広げる一大構想を描いた(マイクロ構想)。そのためには様々な政府のバックアップが必要(通信事業者免許やアメリカからの借款の取得など)となるため、当初は吉田茂や鳩山一郎を利用しようと試みたがうまく行かず、やがてみずから政界に売ってでて総理としてその構想を実現させるという野望に燃えるようになる。そのとき「たまたまそこにあったのが原子力だった」。

*後の昭和天皇が皇太子時代に狙撃された事件で、弾丸は命中せず、犯人はその場で逮捕されて後に死刑となったた。犯人の父は衆議院議員だったが、直ぐに辞職して閉じこもり、餓死自殺したという。

1953年、原水爆実験でソ連に追いつかれつつあったアメリカは、原子力技術を米国内に抱え込む戦略を転換し、むしろ積極的に西側に供与してその平和利用、すなわち発電への利用を推進しようとした。と言っても旧敵国日本はその援助対象ではなかったのだが、54年3月に第五福竜丸事件が起きて日本国内での反米感情が高まり、これに乗じた左派とその背後にいるソ連が攻勢を強め、空前の反米運動が巻き起こる。反共の防波堤・日本での反米運動を沈静化させるためには、アメリカが核の平和利用を目指して日本を支援するというイメージを日本国民に浸透させる必要があった。そのためにCIAが選んだパートナーが、正力率いる讀賣新聞だった。讀賣はもともと右寄りだし、正力の独裁体制なので話が早く、更に民法で唯一テレビをもっていたので、好都合だったのである。

一方正力の方は、そうして得たアメリカとの特別な関係と、産業界での巨大な勢力になり得る原子力の二本柱によって、高齢での政界入りから一気に総理の座を狙える一大勢力を築こうと目論んだ。無事に当選した正力は、讀賣新聞を使って原子力平和利用推進の一大キャンペーンを張り、また1955年の歴史的保守合同の成立に一肌脱いで影響力を強める。(自由党の大野伴睦と民主党の三木武吉を、双方と仲が良かった正力が料亭で会わせたそうだが、後に2008年に福田自民党と小沢民主党の大連立を手引きしようとした渡辺恒雄の脳裏に、先輩正力のこの動きがあったことは想像に難くない。)

アメリカと正力が仕掛けた「原子力平和利用博覧会」は日比谷公園で行われ、大成功を収めたが、その頃から正力とCIAの関係は冷却化する。55年体制揺籃期の混乱に乗じて正力は一気に総理の座に駆け上がるべく、マイクロ構想や原発での土産を露骨に要求するようになるが、アメリカから見れば、原子炉もアジア全土のメディア網も、かつての敵国日本に与えてしまうにはあまりにも危険すぎた。

アメリカの冷淡な態度に業を煮やした正力は、イギリスに乗り換えて原子炉の導入に漕ぎ着ける。この時、原発の運営主体を民間中心とするか半官半民とするかで論争となり、正力は強引に民間中心(電力9社80%、国20%)へと結論を主導したが、それが元で派閥領収の河野一郎と反目し、政界での未来を断たれる。また、事故発生時の損害賠償をどうするかという問題がその後表面化し、1961年の原子力損害賠償法につながることになる。2008年に書かれた本書でも、「このような矛盾はのちのちまで尾を引くことになった。すなわち、民間主体でありながら、国も責任を負うという二重構造だ」と指摘されている。


本書で描かれる正力は、巨怪というよりも悩みや焦りを持った生身の人間であるが、それでも正力という人物の壮大な構想力と、自ら描いた構想に与党もCIAも引きずり込んでいく実行力、それを裏付ける状況分析力には感心せざずにはいられない。

CIAの内部報告書がここまで詳細に公になっているとはやや意外だった。本書が引用した文書には、CIAの対日情報操作の戦略や日本の政局の見たて、キーパーソンの性格や立場の分析などが実に事細かに書かれており、それらはワシントンの公文書館で見られるとのことである。

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