2012/03/17

【読書】 メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故  大鹿 靖明




原発事故の発生とそれへの対応、そしてその後の電力政策を巡る議論と攻防を丹念に追った労作。


震災直後を取り上げた第1部では、危機管理への準備を全く欠いた政権と東電が、手探りの試行錯誤で対応に当たる様子が生々しく描写される。当時多くの関係者や専門家の口から「想定外」という言葉を聞く度に、「この地震大国で、つい数年前にインドネシアで起こったものと同程度の地震が『想定外』とはどういうことだ」と違和感を禁じ得なかったが、地震と津波と全電源喪失と放射能漏れが全部一度に来ることは本当に全く想定されていなかったことがよく分かる。手元が暗い、電動式の弁を手動で開けなければならない、現地への交通が遮断された、敷地内の移動も瓦礫や陥没にはばまれてままならない、余震や津波の恐怖などなど、細かな障害が積み重なって、本来簡単なはずの作業一つ一つがうまく行かない。一歩間違えれば本当にチェルノブイリを超える大惨事に至ってもおかしくなかったと思うと、背筋が寒くなる。

菅首相によるヘリでの現場視察は、組織を動かしたことのない活動家の短絡的発想と、当初より批判が多かったし、今でもよい判断だったとは思わないが、情報の錯綜と停滞の中で、彼がそうしたくなった気持ちも分からないでもない。


第2部では、東電の支援スキームが固められる過程が取り上げられている。賠償の金銭的負担はおろか事務窓口までも公的機関に押し付けようとした東電の責任意識の希薄さにも呆れるが、銀行のリスク認識の甘さも意外だった。

昨年の3月末までに2兆円もの融資が東電に対して行われたことは、私にとって一つの疑問だった。廃炉や賠償にどれほどの金がかかるか全く分からない東電に対し、なぜわずか1~2週間の短期間で融資の決断ができたのか、東電を法的整理にはしないというよほど強い確証を何らかの形で得たのだろうが、政権が青息吐息で絶対権力者不在の状況でいったい誰とそんな密約を結んだのか、分からなかったのだ。

本書によれば、そんなものはそもそも存在しなかった。三井住友銀行の頭取が、今回の事故は原賠法の「異常に巨大な天災地変」に当たるとの解釈を経産次官に話して、「口頭で融資をしても大丈夫というお墨付きを得た」だけで、見切り発車をしたのだ。こういう政治問題化することが明白な事案に関して、経産次官に最終決定権があるとでも思ったのか、あるいは政府の統一見解がまとまっていてそれを代弁しているだけだと思ったのか(そんなものがあのタイミングで出来ているとは到底思えなかったし、仮にできていたとしても、末期症状の菅政権が倒れたらそんな方針は無意味になる)、いずれにしても本当に次官の言葉を拠り所に金を貸したのだとしたら、どうしようもない政治音痴である。

金融機関で働く人の多くは、政治の世界の常識を驚くほど何も知らないので(護送船団時代はそんなことはなかったのだろうと思うと、そう悪いことでもないが)、そんなものなのかもしれないが、三井住友は先代のボスが郵政民営化であれほど政治に振り回された教訓から一つも学ばなかったのだろうか。いまだに半信半疑ではあるが(本書が描写する三井住友の意思決定とその後の狼狽ぶりは余りにも間抜け過ぎるので、さすがにもう少しまともなリスク感覚を持っていろいろ計算・根回しをしていたのではないかという気がしてならない)。


第3部は、その後のエネルギー政策を巡る論争・抗争がテーマである。
浜岡原発の停止を始め、菅首相の思いつきと思われたことの多くは、実は経産省の役人が発信源であったとされていることが興味深い。経産省の狙いは、地震のリスクが突出して高い浜岡だけは例外的に止めることで原発反対派のガス抜きをし、他の原発は予定通り再稼働させることにあったが、脱原発思想を固めつつあった菅がその区別を曖昧にして発表してしまったため、経産省の目論見は完全に裏目に出た。

また本章でも東電がマスコミに怪文書のような紙を配って政権を貶めようとしていた様子が描かれる。震災直後の混乱の中でイラ菅に面罵された東電内には、政権にスケープゴートにされたとの不満が鬱積していたというのが、本書の見立てである。
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