2011/09/23

金融政策のまとめ① - 日銀がお金を増やせば、デフレはすぐに脱却できる?

先日『デフレの正体』に関するレビューを書いた。同書の中では「デフレの正体」は全く論じられていないが、デフレに対する世の中の関心は高く、この本の爆発的な売れ行きに一役買ったのかもしれない。しかしデフレへの問題意識はあれど、なぜそれが問題なのか、どうしてデフレになっているのか、ということに関しては、専門家の理解と一般の人の理解との間に大きな隔たりがあるようだ。

例えばデフレ脱却国民会議は、世の中にお金が不足しているので、これを増やせと主張する。


デフレ脱却国民会議設立趣意書

日本の長期停滞の原因はしつこく続いている「デフレ」という現象です。経済というのはモノとお金のバランスによって成り立っています。しかし、お金の供給を長いこと怠ってしまうと、そのバランスが崩れ、お金が極端に不足します。

すると、人々はモノよりもお金(紙幣=印刷された紙)に執着する現象が発生するのです。この現象がデフレです。人々は紙幣(=印刷された紙)を欲しがってモノを買いません。モノが売れないので企業の業績は悪化し、失業が増え、若年層が定職に就くことができず、世の中に悲観ムードが広がっています。
(後略)



こうした説明は一見分かり易いのでそれなりに支持者がいるようだが、まともな経済学者からはほとんど相手にされていない。ちなみに評論家(?)の池田信夫氏は下記のように述べて嘲笑している。



デフレ脱却国民会議(笑)

(前略)

「お金が極端に不足」するというのは、資金需要が供給を超過するということだが、この場合は(お金の価格である)金利が上がるはずだ。しかし今、長期金利は1%を切る水準で、日銀の政策金利は事実上ゼロである。これは資金が供給過剰になっているということにほかならない。この趣意書を書いた人物には、この程度の初歩的な経済学も理解できないらしいから、ていねいに説明しておこう。

のように金利は資金需要と通貨供給が均衡する水準で決まるので、通貨供給を1から2へ増やせば金利は下がるが、ゼロ以下には下がりようがない。これは通貨供給が需要を絶対的に超過していることを示す。つまり日本経済は、X*のような状態にあるわけだ。ここで3のように日銀が量的緩和をしても、何も起こらない。不足しているのはお金ではなく、資金需要だからである。

(後略)




この議論について、もう少し噛み砕いた説明を試みてみる。


貸し出しが増えないと市中に出回るお金の量は増えない

そもそも日銀はどうやって通貨量をコントロールするのか。その基本は、民間金融機関が保有する国債を買うことである。国債を受け取る換わりに、銀行などに貨幣を渡すのである。この「貨幣」を日銀は自分で創り出すことができるので、その意味では日銀が国債を買えばお金の量は増える。
でもこれだけでは、世の中に出回るお金は増えない。銀行が持っている現金が増えるだけである。銀行が貸し出しを増やしたり、他の金融商品を買ったりすることで初めて、世の中のお金の総量が増えるのである。

ではなぜ銀行はお金を貸すのか?言うまでもなく、利息を稼げるからである。国債やローンには金利が付くが、現金には付かない。だから国債を日銀に売ってしまった銀行は、代わりに入ってきた現金をローンの貸し出しに回したり他の金融商品を買って運用しないと損である。そうやって市中に現金が出て行くというのが、普通の状態での話である。
ところが今は資金需要が不足しているので、金利がほとんどゼロである。銀行が手間ひまかけて、貸し倒れのリスクを取ってお金を貸しても、雀の泪ほどの金利しか得られないから、バカバカしくてやっていられない。そもそも国債を売ることで手放した収益機会(=国債の金利)もほとんどゼロなのだから、日銀に国債を売る前と後で、銀行から見て状態はほとんど変わっていない。だからお金は銀行から外に出て行かず、銀行に積みあがるだけなのだ。


資金需要が不足しているので貸し出しが増えない

この「資金需要不足」ということが、経済学やファイナンス論を勉強したことが無い人には少し分かりにくいかもしれない。お金を欲しがる人は世の中にはいくらでもいる。私だって貰えるものなら欲しい(笑)。でもここで言う「資金需要」とはそういうことではない。

「資金需要」とは「流動性需要」と言い換えてもいい。流動性とは、「今すぐ使える」という性質のことを意味する。現金は今すぐ買い物に使えるが、誰かに貸してしまったら、返してもらうまで使えなくなる。逆に借りた人は、返済期限が来るまで自由に使えるお金を手に入れたことになる。つまり「資金需要」とは、「今すぐ使えるお金が欲しい。そして(この後が重要なのだが)そのために利息を払います」という需要のことである。

もしもこの資金需要がふんだんにあれば、つまり「今すぐ使えるお金」を借りたい人がたくさんいれば、銀行としてはなるべく高い金利を払ってくれる人を選んで貸せばいいわけだから、金利が上がるはずである。ところが今はゼロに近い低金利がずっと続いている。金利が低いということは、お金が余っていて、それを借りたい人が少ないということを意味する。だから銀行は貸したくてもお金を貸せないのだ。

なお、上記の説明では信用リスクとプレミアムを無視した。5%の金利でお金を借りたい人はもちろん世の中にたくさんいるが、こうした人は大抵信用力が低く、一定の確率で返済できなくなる人が出てくる。銀行としては、貸したお金の一部が返って来ないリスクを予め織り込んで、プレミアムを上乗せした高い金利を取らないと、損をすることになってしまう。
このようなリスクプレミアム分を除いた金利は、純粋な時間的価値(=来年ではなく今すぐこのお金を使えることの価値)を反映したものになる。それが、今はゼロ近辺だということである。それは、お金が余っていることと同義である。


資金需要が不足しているのは、経済が成長しないからである

資金需要がある人、つまり「今すぐ使えるお金」を今日借りて、将来利息付で返すことを望む人は、借りたお金を元手に何か事業をしてお金を増やせる自信がある人である。したがって「資金需要が不足している」とは、経済全体としてみたときに、資金を元手に事業を成長させられる見込みが低いということであり、潜在的な経済成長率が低下していることの裏返しに他ならない。


つまり、デフレだから経済が成長しないのではなく、経済成長率が低いから誰も金利を払ってお金を借りようとせず、そのため日銀が国債を買っても買ってもお金は金融機関が保有し続けるだけで貸し出しが増えず、デフレが続くのである。したがって根本的な解決策は経済の成長率を上げる以外に無く、日銀がお金を刷る事ではデフレは脱却できないのである。


(続く)
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2009/10/16

「無利子国債」は機能しない

「無利子国債」なるものに鳩山総理が興味を示していると、今日の新聞に載っていた。利子がつかない代わりに、非課税で相続できるというものらしい。

首相、無利子国債に関心? 学者らとの懇談、話題に

 鳩山由紀夫首相が14日、首相官邸で開いた学者や民間エコノミストとの懇談会で「無利子国債をどう思うか」などとたずねていたことが分かった。複数の出席者が明らかにした。無利子国債は利子をつけない代わりに、購入者の相続税を免除するしくみ。個人の国債購入を促して財源を調達できるという見方もあるが、資産家優遇との批判も根強く残る。
 懇談会には東大の伊藤元重教授やみずほ総合研究所の中島厚志氏ら6人が招かれた。昼食を取りながら経済成長戦略の必要性などを議論したが、首相はそのなかで無利子国債の効果などをたずねたという。ただ参加者の多くは「財政再建にはつながらない」と消極的で、議論は深まらなかったようだ。
Nikkei Net 2009.10.15



記事によれば参加者の多くが消極的だったとされる。私もこのアイディアには反対である。というか、こんなもの真面目な議論に値するとは到底思えないのだが、ウェブで調べてみると結構提唱者がいるらしい。当時海外にいたので知らなかったが、自民党政権末期にも、政府紙幣と並行して検討されていたそうである。
そこで、頭の整理のために、ちょっと検討してみた。

この無利子非課税国債、一体どこが問題なのかと言うと、、


①死ぬ間際の売買による節税が横行する

この国債をいつでも売買できるのであれば、死期が近づいてから購入し、相続と同時に売却することで相続税をバイパスする節税が横行するに決まっている。

突然の事故や心臓発作等の場合を除けば、死期はある程度の準備期間を持って予測できる。例えばある富豪がガンで余命3ヶ月と宣告されたとしよう。彼は即座に全財産をこの無利子国債に換えるだろう。金融資産だけでなく、土地も美術品もいったん全部売り払ってしまい、所有権だけ移転してから借り直すスキームを組み、相続後に買い戻す契約でも結んでおく。3ヶ月後に全財産を無利子国債の形で相続した家族は、若くて健康であれば、すぐさまこの国債を売り払うだろう(死期が近くないのに無利子の国債を持つのは不利だから)。そうやって合法的に相続税をゼロにできる。こんなバカな話があるだろうか。
(実際、1950年代にフランスで同種の国債が発行され、こうした行為が横行したらしい。)

市場での売買を制限すれば別だが、流動性が低くなれば価値が下がるから、それも難しいだろう。


②消化できる国債額は微少

この無利子国債は相続の瞬間のごく短期間だけ保有していればいいから、たいした額を消化できない。

まず、この国債を買う可能性があるのは一部の上流家庭だけである。日本で相続税の課税対象となるのはかなりの資産家に限られ、年間110万人の死亡者数の4.2%(4.6万人)に過ぎない(財務省HP)。低・中流家庭や機関投資家は、相続税を払う見込みがなく、免税のメリットを受けられないので、誰も無利子国債を買わない。利子付きの方がいいに決まっているからだ。

さて、日本のお金持ち世帯で相続されている課税対象資産は毎年約10兆円、税収は1.2兆円である(財務省HP)。
先ほどの例ように、全財産を国債に換えてからすぐに亡くなる、というのはさすがに極端なので、ここでは平均して資産の半分を死亡する3年前に国債に換えると仮定しよう。すると、制度導入当初は10兆円÷2×3=15兆円の国債の需要が生まれることになる。しかし、購入者が死亡して国債が子供に相続されれば、子供達はこれを直ちに売却する。その後の人たちは、こうして売りに出た国債を市場で買うことになる。つまり最初に発行した15兆円が次々に転売されてぐるぐる回ることになる。その後新しく国債を発行しようとしても市中に十分な供給があるから新発債に買い手はつかない。額面から割引いた価格で発行すれば話は別だが、それは「利払費を抑える」という目的を考えれば本末転倒である。またそもそも、新規需要15兆円の中には、既存国債を売って無利子国債に換える部分も含まれるだろうから、国債全体に対する需要の純増分はもっと小さい。

現在、日本の国債残高は680兆円ある。これからもっともっと増える。そのうちのたった15兆円(全体の2%)が無利子国債に変わったところで、利払い費はほとんど減らない。焼け石に水である。


もっとそもそも論を言えば、相続税を免税することで利払費を減らす、という発想自体に根本的な無理がある。
この無利子国債は、利子付きの普通の国債を買うよりも有利だと思った人しか買わない。つまり、本来受け取れるはずの利子の額よりも免税メリットの方が大きいと思った人のみが買うのである。ということは、国の側からすると、節約できる利払い費の額よりも、取り逃す相続税収額の方が必ず大きくなる。
もちろん個別のケースでは、どちらが大きくなるかは、保有者が死亡するタイミングによって影響を受けるので、不確実性がある。国債購入者がみんな必ず得するとは限らない。しかし①の余命3ヶ月の富豪の例のように、購入者が得すると確信して行うディールもかなり出てくるはずだから、トータルで政府が得することはどう転んでもあり得ない。


以上のような明らかな問題点があるにも関わらず、この無利子国債という代物がマジメに議論されているというのは一体どういうことなのだろうか。。。
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